2026年5月、GAADjpとアクセシビリティカンファレンス東京に参加しました。あと、Ledesonさんのイベントも。今後もまだまだたくさん、アクセシビリティ関連のイベントがありますね。
アクセシビリティのイベント参加で湧いてくるもやもや
ここのところ、アクセシビリティ関連のイベントに参加すると、やはり毎回新しい気づきがあるし、もっとやりたいやらなきゃと思う反面、もやもやするというか、重たい、つらい気持ちになるのです。
それがなんなのかよくわからなかったのだけれど、アクセシビリティカンファレンス東京の森田さんの話題提供で、ちょっとわかった気がします。他のセッションもとても良かったので振り返りたいのだけれど、今は森田さんのお話を聞いて浮かんだいろいろがくすぶっているので、私なりに納得して前に進むために、書き出してみます。
アクセシビリティセミナーのアクセシビリティが悪い問題
森田さんがああいうふうに言ってくれたことにはとても心強く、これからアクセシビリティに取り組んだり、その取り組みを共有して広げていく時に、森田さんの言葉に後押ししてもらえる人がたくさん出てくると思います。アクセシビリティに関することを取り上げる場に十分なアクセシビリティを確保できないことに悩んでいる人は結構いるはず。やらないで閉じてしまうより、今自分にやれる形でやってみよう、そう思って進められると思います。ほんと、さすが森田さん、ありがとうございます、という気持ちです。
その反面、私には、でもそれだとあの人はこのセミナーに参加できない、あの人には内容を十分に伝えることができないかもしれない・・・と頭に浮かぶ人が、います。だから、そうだそうだ、それでいいんだ、と、手放しでは言えない。アクセシビリティのイベントは、排除されてしまうかもしれない人が最大限減らせる形であって欲しいし、そうしたい。
実際は参加する側も工夫したり努力したりしている、はず
ただ、普段の自分のコミュニケーション方法を考えると、こちらが十分に準備できていなくても相手側が努力して頑張って受け取ってくれているということが多くあります。私の周りのいわゆる「マイノリティ」の人たちは、「マジョリティ」に向けて整えられている社会で生きていく中で、普段からさまざまな工夫や努力をしています。それに頼らせてもらっている。母語は手話だけれど人工内耳で1時間程度なら日本語音声でのミーティングも可能(本当は手話がよくて、人工内耳は身体への負荷がつらいけど)とか、画面共有された資料が見れないからあとで資料を共有して(本当はその場で説明があってその場で理解できるのがいいし、できれば事前に資料を読みたいけど)とか・・・
多分アクセシビリティのセミナーでも、自分で利用しやすい字幕を表示させたり、セミナー後に提供された資料で内容を再確認したり、というのはあるのではないかと思います。
でもそれをなくしたくてアクセシビリティに取り組んでいる、はず
アクセシビリティが、そんな一方的な負担の大きい工夫や努力を必要なくしてくれる。だからこそアクセシビリティに期待するし、そういう社会になって欲しいと願って、アクセシビリティに取り組んでいるのではないか。
最大限アクセシブルなイベントを目指しているアクセシビリティカンファレンス福岡は、福岡の誇りです。
ゆうてんさんも言っていたけれど、協賛してお金を出してくれる企業があるからできるってことも事実で、そこに価値を見出してくれる企業が増えると嬉しいなと思います。
基礎的環境整備と合理的配慮の提供のバランス
ただ、アッカン福岡ぐらい頑張ったら、アクセスできない人が全くいなくなるってわけでは、たぶんないと思うし、福岡以上に頑張れるかと言えば、みんながみんなそうではない。福岡は協賛してお金を出してくれる企業がたくさんあるからと言っていたけれど、イベント開催者側も協賛される価値のあるイベントにするためにすごく頑張っているんだろうなと思うし、運営側にそんな時間や体力がない場合や、協賛したくてもお金が出せないって企業もあるわけで・・・
森田さんも合理的配慮と環境の整備の話をされていたと思います。環境の整備をがっつりやれたら、イベントがアクセシブルになって多くの人に参加してもらえるかもしれない。合理的配慮の提供もいらないかもしれない。でも、環境整備が難しい場合に、できる範囲での個別の合理的配慮の提供によって参加してもらうことを考えてもいいかもしれない。
やっぱり、やらないよりやった方がいい
十分な環境整備ができない、アクセシブルなイベントにできない、だから「やらない」としてしまうと全く広まらないし良くならない。何かしらの形で発信することは、やっぱり大切だから、やる。アクセスできない人がいるかもしれないことはいつでも頭に置いておかないといけない。それでもやった方がいい。
そうだ、森田さんのお話を聞いていて、ウェブサイトでの話だけれど、AA準拠ができないから公開しないとしてしまうと誰もアクセスできなくなってしまう、AA準拠できてなくても公開されている方がいい、という話を思いだしました。
私も、ダメダメだけど、続けよう
ウェブアクセシビリティの場でもそうだけど、私はずるい。障害当事者ユーザーと一緒に、ユーザーと制作者との間でウェブアクセシビリティの仕事をしていて、困る人がいると知っているのに、制作側のさまざまな事情を考えて、今回はここまででと許してしまっている。私はなんなんだ。いやでも私は困るって伝えたから、選んだのは制作側の人たちだからと、自分を納得させる。どっち側に対しても中途半端で、そう、私はマジョリティ側で困ってない人だからだね、って思う。本当に自分が嫌い。
イベント参加でのもやもやは、そういう自分に対するものだったのかなと思います。
うん、何もできていないし、いつまでたってもアクセシビリティの専門家を名乗ることもできないし、どこへ向かっているのか、なんか中途半端でずっといるのだけれども、やっぱりアクセシビリティには期待するしやった方がいい。他にもいろいろあって、アクセシビリティと直接関係のない仕事に進もうかとまで考えていたけど、やっぱりこれからもアクセシビリティに関わっていたいな、続けていきたいなと思えました。
森田さん、ありがとうございました!