当事者と傍観者

yohaku
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とある器があったとして、内にいる人と、外にいる人とでは、同じ器に触れているはずなのに理解や感覚がまったく異なる。

外からだと、「あれがこれでこう」と、すべてが明快な構造物のようにすんなりとして見えることも、なかは寄席細工のように複雑であったり、熱かったり冷たかったり尖ったりしている。

かたちだけ見てわかったような気になるのは、わからないよりもたちが悪いかもしれない。

内からだと打破できないこともあるし、外からだからこそ俯瞰できる良さもあるので、どちらに利があるとも言えないが、「そんな単純なことではないんですよね」という気持ちは持ち続けていたい。

@yohaku
たまに「面倒なことをして徳を積む」活動の記録をしつつ、明日になったら思い出しもしないようなきもちについて書いています。