とある器があったとして、内にいる人と、外にいる人とでは、同じ器に触れているはずなのに理解や感覚がまったく異なる。
外からだと、「あれがこれでこう」と、すべてが明快な構造物のようにすんなりとして見えることも、なかは寄席細工のように複雑であったり、熱かったり冷たかったり尖ったりしている。
かたちだけ見てわかったような気になるのは、わからないよりもたちが悪いかもしれない。
内からだと打破できないこともあるし、外からだからこそ俯瞰できる良さもあるので、どちらに利があるとも言えないが、「そんな単純なことではないんですよね」という気持ちは持ち続けていたい。