私はなんでここにきたのだろう。
SNSは他にもいくつも利用している。
最近では私的なもののみでなく仕事でも使うようになった。
昔はSNSだと思っていなかったツールにもコミュニケーションを取る機能が追加されることで、他者との繋がりがよりくっきりするようになった。
手にはスマホ、仕事もPC、インターネットに身を預ける日々は、他者とのつながりを感じやすくなっている。
だからここ最近、そういったものに疲れを感じているのかもしれない。
インプットとアウトプットが必然的に増えている中で、自身が考えてインプットをしていることが減っていそう。
アウトプットも気づけば他者の焼きなましになりすぎていて、自分がただ情報を通過させるパイプのようになってしまっているのかも。
ただ通過するというのはありえないので、疲弊もしているのであろう。
するとこれは、いっときの心を休める避難、強制的な隔離なのかもしれない。
隔離のニュアンスは難しいが、もうひとつの人格を自分の中で大事に育てるということなのかな。
インターネットが発達した今、自分というひとつの存在に対して幾つもの人格を持つことが手軽になり、また意識しなくてもそうなってしまっている現実がる。
それでも私が自分のアウトプット先をインターネットとして増やしたのは、誰かに見つけて欲しいのか、吐き出していたいのか。
どちらかしかないというのはありえないと思うが、このモヤモヤを気にしなくて良くなるとき以外はここにいるのだろう。
キャンプでみんなが寝静まった夜に、焚き火の火を見ているような感覚かもしれない。
誰かが来たら嬉しいが、来て欲しいわけでもないあの時間。緊張感。
火に薪をくべながら、しばらく過ごしてみようと思う。