自分は言葉に対して正確でいたい派な人間なのかもしれない。
他人が自分のことをそのまた他人に伝えているとき、その表現が自分の納得のいくものでなく、不快感を覚えた。
特に自分が表現として気をつけているところを誤ったような表現で伝えていたからもやもやしたのだと思う。
これも自分が、他人にどう思われているかを過剰に気にしているからなのだろうか。
おそらく私は、他人にこう思われるようにするにはこうして、ここはこうして、、のように少しずつ少しずつ輪郭を削っていくように私という形をある程度保つようにしているのかもしれない。
過去、私は何を考えているかわからないだとか、本音を明かしてくれない、要するに壁があるとかを言われたことがある。(あんまり喋ったことも関わったこともない相手だったが、飲み会の場でそんなことを言われた気がする)
私としては、誰でもそのような振る舞いはするだろうし、期待と実態の差分でがっかりされたのかどうかなどはわからないし、知った気にならないで欲しいなどと思っていた。
今でもその意見は大きく変わっているわけではないが、その状況を作っているのは他ならぬ私自身なのかなとも思う。
結局のところ丁寧にコミュニケーションを取ろうとして少しずつ少しずつ私という輪郭を作っている状況に対して、壁があるという表現は確かに当てはまる。
私は普段、期待されたい、そして期待に応えつつ相手すらも表現できていなかった部分も明らかにして実行したい。というものがどうも自分を動かすものとしてあるようで、そんなところと、この自分というものの輪郭の話は結構関連があるのかなと思う。
期待されたいし、期待を裏切りたくない。
仕事もコミュニケーションも小さな積み重ねでやっているが、だからこそそれらを大きい形で振る舞い実行できる人たちに憧れを持つのかもしれない。