小説を読むことは、自分の語彙力を高める手段になると思う。
びっくり仰天、口もきけない。肝をつぶした。おったまげた。あっけにとられ、目がくらむ。何もかも大規模なので、ぼーっとなってしまった。ただただ立ちつくして、目をぱちくりさせるばかり。
-チョコレート工場の秘密 ロアルド・ダール
「驚いた」だけでも、こんなにも沢山の表現方法が存在する。これは小説の中のほんの一部の文章だ。
小説は、全て文字で言葉で文章で、情景も表情も感情も表さないといけない。だから、伝わるように伝えるために、事細かに言葉が連なっている。それも洗練された言葉たちが。
私は自分の感情を言葉にしたり相手に本音を伝えたりするのがあまり得意ではないようだ。
言語化に労力を消費するし、正しく伝えたい気持ちが勝って酷く喉がつっかえる。言葉の選択を誤ることで、誤解を招いたり無駄に傷つけたりするのが物凄く嫌なのだ。自分の語彙力次第で、免れる過ちは起こしたくないという気持ちが強い。なぜなら、人を傷つけることは自分も傷つくことになるからだ。これは繊細な分、感じとってしまう私にとっては自動的に起こるサイクルなのだ。
だから、私に新たな言葉を与え、語彙や表現の幅を増やしてくれる小説は、私の生きやすさにも繋がっていくのではないかと思う。
無論、自分の感情を汲み取れることから始まる話ではあるのだが。