会社の人がパワーストーンのブレスレットをしていて、スピリチュアルとか占いの話で盛り上がった(私以外)。
私は占いを信じてないし、厄年も“神社が金儲けするための概念”と思っているのであまり気にならなくなった。
信じなくなったのは3.11がきっかけ。
私は3.11の朝、テレビで“てんびん座は大吉”と言われてラッキーと思ってたんだけど、災害が起こって占いの大吉の力の弱さを実感してどうでもよくなった。どうでもよくなったという感情の中に、“今後、ラッキーと思った後に、強烈な無力感や悲しみに打ちひしがれたくない”という気持ちも含まれている気がする。
コロナウイルスのワクチンを摂取するために、早めに摂取会場に行ったら近くに神社があったのでベンチに座って休んでいたら、厄年の年表が張り出されているのが目につき「あれ?私今厄年?」って気づいた。その日はたまたま3.11で祈祷祭?をやっていて人がポツポツ集まっていた。それを見ながら、またどうでもよくなってしまった。
でも、占いに一喜一憂出来る方が健全だと思う。