「今日も日記を書きます」と言った手前、このまま眠気に負けて寝てしまっては誠実性に欠けると思ってざっくりとした日記を書きます。きのうの日記は、宿のラウンジで1時間半ぐらい一心不乱に文字を打ち続けられたのであんなになったのだけれど、今日は指先に指令を出す頭が寝ているので、写真日記にしたいと思う。また書きたくなったらその時に書く。7月の旅行の写真も少しある。日記は時をかけることで有名なものなのです。
⬛︎いま激アツの新美の話

ちょうど、展覧会が重なっているシーズンの今、もう少しだけ激アツいシーズンが続く。あと一週間ぐらい。というのも、展示室2Eではピカソ、1Eではレオナルド・ダ・ヴィンチを含むルーヴル美術館展。ピカソの展示は7月に行った時に見たときの写真。展示室の作りが本当に好きだった。壁という壁が全部ピカソの作品に合わせた装飾になっていてとても可愛い。住みたいぐらいに可愛かった。

⬛︎三菱一号館美術館、たいへんによかった…

ロートレックのこの作品、画面の右上のほうにいる白い服を着た人に目が入ってしまって、面白いなあと思って見ている。この状況下でそんな顔できるんだ…!という状況に対しての面白みを感じてしまった。私が生まれるちょうど100年前の作品だ。すごい…!時の流れたるや。そして!みて!この絵も三菱一号館美術館のコレクション。さすがだよ…ロートレックのまとまったコレクションを持っているということもあり、展示はロートレックが核になって構成されている部分もある。それを踏まえて「アートとインフォメーションの違い」を考えている。インフォメーションにアートを取り入れてもいい。だけど、アートとインフォメーションの間には隔たりがあるような気がしている。
このオレンジがある廊下、爽やかな柑橘の香りで満たされていてとても良かった。この廊下のベンチに座ってオレンジの香りを肺いっぱいに吸い込んでから、私はうっすらとオレンジが好きになりつつある。本当にフレッシュでよい香りだった。別の階にはラズベリーもあった。こちらもよい香りだった。でも今回はオレンジが優勝。

⬛︎東京タワー散歩
「8時から8時30分ぐらいに国際展示場駅で会いましょう」と言われて「起きられるかしら」と不安になっていたものの、気合と気合と震えるスマートウォッチのおかげで6時前に起きた。身支度をして、いざ向かおうと思ったのだけれど電車での移動を考えてもまだ少し余裕があったから宿のある浜松町のあたりをふらふらして東京タワーを見に行った。家と家の間から見えるスカイツリーも好きだけど、ビルの合間から見る東京タワーも嫌いではない。都市圏に来たなあと思う。それに、私が浜松町に宿を取るときはだいたい朝が早いので、まだ眠りの中にいる街を歩くのはいくらか気持ちがいい。

見上げれば青空。久しぶりに青い空を見た。くもりや雨の日が多かったから、こうして本来の空の色が見られるのは嬉しい。日差しもそれほど強くなく、歩くにはちょうどよい気候だった。最近は、ぐずついた天気の日が多かったから、こうして青空を見られるのはうれしい。それに、国際展示場から帰るタイミングでちょうど晴れていて、久しぶりに日の光を浴びた。あたたかくて良い。
というここまでが日曜の夜、力尽きる前に書いた内容。眠気には勝てなくてパンダのクッションを枕に朝まで眠った。ものすごく後味の悪い夢のあとでも日々は容赦なく始まるので、ここからは月曜にぽつぽつと書いていたもの。
⬛︎新刊とかの話
この2日間、私が外に出た目的は「からからになってしまった自分の水面に水を張ること」そして「そこに小石を投げてみること」だった。ビッグサイトに行ったのも、何かの発見をしたかったから、と言われたらそうかもしれない。ただ単にセブンティーンアイスを食べたかったからと言われたら、それもそうかもしれない。
土曜でいい感じに水を張ったところに、日曜は小石を投げ込んでみた。どんな音を立ててどんなふうに水面に波紋を描くのか、じっと見つめる。いつものように小さいノートに青いペンで気づいたことを書き込んで現在地を確認していく。意外にも最初に書き込んだワードが「さらにわからなくなった」だった。私はたぶん、枠があったらそこにフィットする形になりたいと思っている。枠があって、その形になれば何も考えなくて済むから。でも、実際問題は枠にはとうてい収まらなくて、だから悩んでいるし、わからないのだろう。右から左へ、左から右へと歩いていく人々を見たり、自分自身も西から東へ歩きながらいろんな形、いろんな色のものを見た。さまざまな色、形が包み込まれる街で自分の中に「こうでなくてはいけない」という意識が強くあるということに気がつく。帰り道に「いろんな形、色があってよかった」ということを話しながら、私が「こうでなくちゃいけない」「こうあるべきだ」と思っているときに「そうじゃないよ」というのをいろんな形で伝えてくれる人が近くにいてよかったとも思った。まだ私がぼやぼや生きていたころにも不思議な人たちとの食事会に招かれて「こういう面白い人たちもいるよ」と伝えてくれた人のことを思い出す。気がつかないうちにはまりきらない型を探してしまう自分にとっては、そういう存在がいてくれるだけで幸せかもしれないとありがたく思う。
波紋は静かに、けれども確かに次の波の形を作っている。実際、ふわふわと浮いていたものをたぐり寄せて小説一本分ぐらいになりそうな予感がしている。不慣れなことにも挑戦していきたい気持ちも大きい。
てなところで、ZINEフェス岩手で一冊、仙台で一冊、新刊を作ることにした。どんな規模であれ、MAGAZINEとPAPERBOOKSが出るはず。日付の感覚を完全に失っているせいでどんなスケジュールで進むのかはわからない。5連休に希望を託しているのと、これまでに書いたストックから一部抜粋して簡単な本にしてもいい。グレーの紙を買ったからそれを使って手製本にしてもいい。なんでもできる気がする。出来上がりはどうであれ、自分が手を動かすことによってできるものを、まずは自分自身が信じたいところ。ほんとうにできるんですかね。もう9月も中旬なんですよね。
なにより、普段の自分がうっすらと思っている「とりあえず自分の考えるところを見せて欲しい」というのを、自分自身へとまっすぐに突きつけられた週末だった。そう思うと、かすかな筋肉痛と眠たさすらも意味を持ってくるような気がしてならない。
ここのところ、雨やくもりの日が続いて気分が落ち込んでいた。落ちるところまで落ちながら「やめちゃおうか」ということを何度も考えている。伝え方がわからなくて、うまく伝わらないものをなんとかやりくりしたり、その過程で自分の中に眠っている知らない自分に戸惑ったりしていて、あまり見たことのない感情に不安に思うこともあった。けれど週末、自分の足で歩きながら画家の作る世界に迷い込み、その中で呼吸をしている人々に思いを馳せることによって、なにか新しい光に触れたような気がした。厚い雲の隙間から差し込むまっすぐな光のようにきらめいて、世界を照らされたみたいだ。
これにてリハビリは終わり。もう悠長なことも行っていられないところまで来てしまったので、なんとかできるところまではやってみるつもり。無事にできたら、そうしたらまた次はどこに行こうかを考えたらいい。