わかりたい旅2025秋の記録

よん
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公開:2025/10/19

◎まえがき

この日記は、これから書き始める『クロス・リバー・タウン』(仮)への習作です。ZINEの形にするときは、いろんな要素を消すことにしているのですが、そうは言ってもきっかけがきっかけであり、このまま頭の片隅に置いておくわけにはいかないよというわけで、脳内から産地直送でお届けします。12月21日(日)のBOOK TURN SENDAIの時に新刊として持っていけるように、原稿頑張りますね。形になってもこちらは消さないでおくつもりなので、B面的にお楽しみいただければ幸いです。

⬛︎10月15日(水)KIRINJI×Bialystocksツーマンライブ@Zepp DiverCityTokyo

「ビアリ;;単独公演のチケット取れなすぎる。音を浴びさせてくれ頼むから」と泣いていたのは今年の春のハイライトのひとつ。でもどうしてもBialystocksというバンドの音楽を浴びたくて、うずうずしていたらKIRINJIとのツーマンライブがある(堀込さんのほうからお声がけした)という話を聞いて先行で申し込む。ダメだったらLIVE AZUMAで柴田聡子でも聴きに行こうよ〜ぐらいの軽い気持ちで申し込んだら見事に当たってしまい少しの迷いののち、そのまま行くことにした。ちょうどこの当落があった一週間後にTOMOOのツアー公演の当落が控えていて、ここで蹴ったらぜったい次に影響すると思っていたのもある。水曜日、19時開演、お台場となると絶対帰れないと思って6月の時点で、次の日も休みを取ることを決めた。

そうして、午後ぐらいからぽやぽや出発してホテルに荷物を置いてお台場へ。モノレールからりんかい線へ「この路線、乗ってみたかったんですよ」といろいろ乗り換えて向かう。着いた頃にはすでに入場が始まっていて、整理番号もそこそこだったので、スッと入る。オールスタンディングのライブが初めてだったのだけれど、すでに会場内のあちこちに人がいて、それにならって自分も見やすそうなところに陣取る。ライブ自体はほんとうによくて(これはまた別の日記として書くつもり。旅中に書き始めている)、「差し色」が特に、なんかわからないけれど、涙が止まらなくなってしまって、やっぱり好きだ!となりました。音源にはない会場でのグルーヴ感というか、音楽という海の中で、きらきらした光や波の心地よい揺らぎを見ているみたいだった。「明日は気の向くままに いつもの街を飴色に染めてく」好きすぎるだろこんな。「近頃」でウキウキになってから「憧れの人生」で突き落としていく感じもすき。そんなことできるんだ!?の新鮮な驚きがあって、あっという間ですごくすごく楽しくて、Bialystocksという光に触れられたこと、そして、音の海の中で漂えたことを純粋に嬉しいと思った。KIRINJIもめちゃくちゃ楽しくて、というか堀込さんすごかった…。高樹……すごいよ………。事前の予習は結構的を得ていたようで、指をパチンパチンと弾きながら始まった「指先ひとつで」たまらくよかった。最中はそうでもなかったのに、公演が終わって会場内が明るくなった瞬間に足の痛みに気がついて「おもしろ」となりました。単純にアドレナリン的なものが出ていたらしい。でもビアリとKIRINJIの音楽はやっぱり結構近いところにあったというのが予想通りだったなと思った。たぶん、その少し離れたところにくるり、もうすこしだけ離れたところにアジカンがあると思う。

終演後はそのまま、お台場をふわ〜と歩く。フジテレビ本社の横を歩きながら「不夜城」の文字が頭に浮かんで文字通りだなっと思っていたら、駅を通り過ぎてしまったらしく少し道に迷う。雨上がりだけど、少しだけ湿度の残る心地いい夜だった。

⬛︎10月16日(木)雲の旅へ

8時前に東京を出る東海道新幹線に乗るために、浅い眠りを繰り返して6時前に起きる。7時ごろチェックアウトして東京駅へ。東京駅から東海道新幹線に乗る前に、崎陽軒のシウマイ弁当を探す。今回少しだけ長めに休暇を取ったのは、岡山で行われる鵜飼派の展示を見るため。「クラウドエアライン」という二人だから飛行機で行くべきか迷ったのだけれど「めちゃくちゃベタな話なんだけど、西へ向かう東海道新幹線で崎陽軒のお弁当食べたくない?」という私の希望が勝ちまして、新幹線で往復をすることに決めたのです。事前に「駅弁が売っているのはきっとこのあたり」と予習はしていたけれど、1店舗目で時間帯的になく、紹介された2店舗目も「ちょうどいま並べます」というところでなんとか買って新幹線に乗り込む。せっかくなのだからと言って取った富士山側の窓の外の景色をぼんやりと見ていたらすっかり静岡を過ぎて、愛知に差し掛かるところで驚いた。一瞬すぎる。新横浜を出たあたりから、高台に建てられたカラフルな家々や次々と現れる工場を見ながら富士山を待つ。残念ながら天気が悪く見えず、雲の向こう側に気配だけを感じ、「そうか〜」と思っていたら掛川へ。車窓を眺めていると、ヤマハの工場のちょうど横にハウス食品の工場があって、知らないぐらい興奮した。そのまま見ているといろんなものが見える。窓の外を流れていく景色に興奮しながらお弁当を食べていると、名古屋をすぎ、関ヶ原、岐阜を越え、琵琶湖に差し掛かる。日清の工場があり「日清!」と思っていると京都や大阪の気配がしてもうダメだった。東海道新幹線楽しすぎる。京都タワーを見て、7年前に一人で京都に来たことを思い出し急激に懐かしくなったり、新大阪で「せっかく大阪を通るのであれば」と「あゝオオサカdreamin'night」を聞いてみたりしていると、3時間はあっという間に過ぎていく。

岡山駅で新幹線を降りると、私たちが失ってしまった湿度があることに気がつく。空気に丸みがあって暖かい。天気予報を見て30度に迫る暑さだとわかっていたので、今回は半袖のTシャツに長袖のシャツを羽織って来たのだけれど、これがちょうどか、少し暑いくらいだった。「岡山」とか「桃太郎」とかいう文字を見ながら「本当に来てしまったんだな」という気持ちになる。

鵜飼派の展示は岡山駅から少し離れたところにある岡山城、岡山県立博物館、林原美術館の3館で行われる。離れたところといえど、路面電車やバスで一本、10分もすれば着くぐらいの距離感。助かる。3館の間も徒歩1キロ圏内なので全然歩ける距離だったのが助かった。ぼやぼやと歩きながら、雲生さんのパネルがある岡山城へ向かう。雨の予報が出ていたけれど、天気は曇り。ほどよく温かくて歩きやすい。「岡山」といえば、私の中では完全に「日照時間が長い」「岡山県立図書館がすごい」「大原美術館がある」くらいの知識で、これまでの歴史とか、そういうものに関してはあまり頭の中にない状態で行ったので、城を中心に街が出来上がっていく、整備されていく様子の概観を掴めたのがよかった。街ができるということは、人が集まるということ。刀という点で言えば、京都から招聘された刀工もそれなりにいるそうで、知らないことばかりだったからどんどん勉強になる。

とはいえ、今回の旅では「どうして刀を美術品として鑑賞するのか(そもそも、武器なのではないか)」「どんなところに美しさを感じるのか」というところが知りたかった。鵜飼派・雲類の展示を見ながら、その静けさと雲のような模様があり「もしかすると、この模様のようなところが飛行機から眺めた雲の様子に似ているのかもしれないな」と思った。けれど、ほんとうに私が求めている答えはこの岡山では見つけることができなかった。この地で見つけられたのは、鵜飼派・雲類という人たち、そして青江、来、長船や福岡一文字などのさまざまなスタイルの職人たちがそれぞれの地で腕を磨いていたこと、その一つ一つを取って考えてみるとその人の癖があり、それがスタイルに繋がっていく、そうして「派」というものに収れんしていくのかもしれないということだった。また、横だけでなく縦(雲類で言えば、雲生から雲次、雲重への歴史的な繋がり)にも派を超えない程度のスタイルの違いがあり、見比べてみるとうっすらと違って面白かった。

岡山城で雲生さんのパネルを見て、あまりの綺麗さに「きれいだねえ」という言葉しか出てこなかったり、城パフェを食べたり、しゃちほこの可愛さに心を奪われながら、岡山県立博物館、林原美術館も回る。今回の雲の旅のスタンプラリーと岡山カルチャーゾーンの40周年記念施作のスタンプラリーを一緒に回ってしまう。

岡山県立博物館では、刀の展示だけでなく、特別展をじっくりと見て、その後偶然居合わせた学芸員の方とお話しできたのが楽しかった。海外向け商品として作られたというモスクが描かれた花ござ。ミレーの落穂拾いを花ござの絵柄として落とし込んでいる作品(でもどこか表情の感じが和風になってしまう)、キラキラに光る素材を織り込んだ大きな作品。生活に溶け込む様子を考えて、自分の部屋にも敷いてみたらもっと過ごしやすくなりそうだと思った。

最後の林原美術館では、雲類と青江、それぞれの作風などを比較しながらじっくりと見る。ここまで鵜飼派を見てなんとなく違いがわかるようになってきた。まだ言葉にはできないけれど、感覚的に「なんか違うかも…わかんない」ぐらいのことは感じ取れるようになってきた。キャプションを読みながら進んでいくのだけれど、専門用語が多く「奥が深い、結構深い」と思ったりした。林原美術館のロビー的なところで雲次くんのパネルと一緒に足元の写真を撮る。オレンジの靴下、おそろいだねの一枚。まったく意識せずにテンション上げていきたい時のために買っていたオレンジ色の靴下。こんなところで役に立つとは思わなかった。そういえば、林原美術館の展示は、刀のあとに超絶技巧の正阿弥勝義の作品が展示されていたのだけれど、本当に生き物の息遣いまで感じられるほどの技術に感心して見ていたら、鍔のところのキャプションで唐突に「刀剣男士・雲生」の文字が出てきて衝撃を受けてしまった。言われてみれば確かにそうだけれども、こんなところで!?完全に油断してた、不覚。

岡山カルチャーゾーンのスタンプラリーのために、岡山県立図書館と岡山映像ライブラリーセンターにも行く。事前に岡山城周辺の地図を見ているときに県立図書館の文字を見て「これはたいへん。時間があればぜひとも」と思っていたのである。昔、聞いたことがある場所、図書館としての規模もそうだけど、施設としても見ておいて損はない場所だった。開館時間の兼ね合いも考え、一度そこでスタンプラリーだけ押して、最後の岡山映像ライブラリーセンターへ向かう。ここは、山陽放送が所有している映像や映像制作に関する機械(これまでに使用されていたカメラやフィルム)を展示している施設。岡山と香川のTBS系列局としての山陽放送があるというのを解説していただき、重たいカメラを持ったり、少し前の街の様子を映した映像資料を少しだけ見た。展示室の外にカメラが置いてあり、その映像が後ろのモニターに映るようになっていたのでそこでアヒル隊長と写真を撮っていると、「じつはオリエント美術館でエジプトっぽいアヒルを売っていてね…」といかにもエジプトなアヒルを見せていただいた。ついでなので並べて写真を撮らせていただく。かわいいオブザイヤーをあげました。ちなみにどちらもお風呂には浮かばないらしい。

そうして、岡山城の思い出を噛みしめるように来た道を戻って岡山駅へ。岡山の駅から直通の大きいイオンモールに行っておこうと思って歩いていると、「日本語勉強中!お話ししませんか?」という人たちを見かけて少しお話しする。アメリカの大学を2年間休学して来ているという二十歳の青年。好きな本の話になって「やっぱり聖書とか多いかな。クリスチャンだし」というのがかっこよかった。教会で英語も教えているらしい。すごい。少しハイになるごとにハイタッチした、楽しすぎる。話の中で私が本を書いていることを伝えていたのもあって別れ際に「Good luck you books!」と言われたのが印象的だった。

そして、文字通りでっけーイオンで少し迷った後、岡山っぽさを感じたいと思って牛乳の類をいくつか買ってみる。福島は酪王牛乳が一大勢力なのだけれど、岡山はどうやらオハヨー牛乳文化圏みたい。オハヨー牛乳、蒜山高原の牛乳、木次ミルクコーヒーなどいろいろ買ってみて飲み比べを開催することを決める。

倉敷に宿を取ったので、山陽本線に乗って移動する(本当は伯備線に乗るはずがホームを間違えて完全に逃した)。ホテルに着いて、バー的なところへパフェを食べに行く。このとき、横にいた先客の二人が話しているのが偶然耳に入って来たのだけれど、そもそもの言葉が違っていて面白い。「〜やん」「〜じゃろ」「〜のや」みたいな西側の柔らかさのある言葉たちにつねづね新鮮な気持ちになってしまう。そのあと、これは全然別件に巻き込まれる形で偶然聞いたのだけれど「何しとんねん、のけろや」の「のけ(退けの意)」「だれやねん、お前(れのとこちょっと巻く)」にはまだ驚いている。

⬛︎10月17日(金)倉敷散歩/ここからが無茶の始まりだよ、みんな

泊まったホテルには大浴場があって、本来であれば夜のうちに行きたかった(15キロぐらい歩いていて足が限界そうだったので)のだけれど、いろいろあり夜はもう部屋の外に出ないほうがいいと判断したので、朝行くことに。なので、また6時前に起きて、サウナまできっちり楽しむ。それからふわふわと準備をして、朝の倉敷美観地区を歩き、モーニングを食べることに決めた。7時ぐらいからテレビを見つつ、前日の乳製品飲み比べ会の続きを開催する。夜の間に、白バラコーヒーも仲間入りしていた。完全に私の主観でしかないのだけれど、オハヨー牛乳は、最初にコクがありつつもスッキリとした後味が好き。白バラコーヒーは優しい味がして、蒜山高原の牛乳は文字通りスッキリしていて飲みやすかった。島根県に会社がある木次コーヒーはこれも甘過ぎず、ちょうどよかった。カヌレにぴったり。

天気予報を見ると、やっぱり暑そうだったので服装に迷う。東京に戻ることを考えて長袖のシャツとニットのベストにしようかと思っていたけれど、ある程度調整できたほうがいいと思って、予備の寝間着として持って来ていたモナリザのTシャツに長袖のシャツを羽織ることにした。靴下は靴下柄。

8時前に宿を出て、駅のコインロッカーに荷物を預けた後で倉敷美観地区へ。朝の通勤や通学の人々とすれ違いながらも、目的地を目指していく。商店街に「美観地区ちかみち」と書かれた看板があったので、その通りを抜けていくと美観地区らしい蔵が並んだ小道に出た。事前にネットで見た通り、朝のまだ眠りから覚めていない美観地区は静かで綺麗だった。雲がない空も相まって澄んだ光の中、知らない街に迷い込むように通りを曲がったり、戻ったりした。アイビースクエアに行ってみたり、児島虎次郎の記念館や大原美術館の場所を確認したり。うろうろしていてもまだモーニングのお店の開店時間まで余裕があり「うむ、どうしたもんか」と思っていたらスウェーデンから来たという女性に「あなたがモナリザのTシャツを着ているから聞くけど、彼は何をした人?」と尋ねられる。彼女が示す看板には高階秀爾先生がいて「高階秀爾先生、大学で美術を教えていた先生です」とざっくり伝えると、それからお互いにたどたどしい英語での会話が始まる。伝えることに一苦労しながら会話をするので、自分の意図することが相手に伝わった瞬間、双方的に喜びがあふれる。Tシャツにプリントされたモナリザを見て「ルーブル美術館で見たことがあるよ」「夏の間いたことがある」というのを聞き、「いいな〜」と思う。モナリザを着ていなかったら話しかけてくれなかったのかもしれない。だとしたら嬉しい。

朝ごはんであんバタートーストのセットを食べて、大原美術館へ。ずっと来たかった。展示室に一歩足を踏み入れると、奥のほうにモネとシニャックの絵が並んでいるのがわかって、やっぱり好きなんだなと思った。遠くから見ても風景になり、近づいてみるとまったく予想もしていなかった色が見え始める。印象派やそれに次ぐ新印象派の絵や点描が好きなのは、作品を見つめる距離で見える景色がまったく違うところ。好きすぎる。2階の展示室にもモネやゴーギャンの作品があってたまらなく「来てしまったんだ」という気持ちになる。大原孫三郎と児島虎次郎の想いをそのまま受け取ったような気がしてたまらない。そして、大原美術館で一番好きな窓もしっかり見る。振り返ると、壁いっぱいにフレデリックの作品が見える。たまらない。好きすぎる。工芸館・東洋館もぐるりと見て回る。器たちやアジア各国で作られた祈りや暮らしの道具が並んでいる。それぞれに文化を感じ、生活や人々の息遣いに想いを馳せていく。

大原美術館を出た時に、観光客のひとりと目が合い、写真のシャッターを押す役目を頼まれる。初めて「撮りますよ〜!」とシャッターを切ったのだけれど、向こう側で「レオナルド似合ってるね」とか「モナリザだよ」という声がしてモナリザを着たことを少し後悔した。この場所においては目立ちすぎる。児島虎次郎記念館を見て、ぐるりと街を一周していたら、いい時間になってきたので駅のほうへ向かう。最後に私自身の写真も撮ってもらうべきなんじゃないか(一人旅は自分の写真があまりにもないことで有名です)と迷ったのだが、勇気が出なくてそのまま駅へ向かった。ちょっと後悔している。撮ってもらったらよかった。

駅のほうへ出るついでに、倉敷らしいものを食べておきたいとうどん屋さんへ入る。倉敷のうどん。天気予報を見た時に、岡山と香川が同じ画面であることを知り「隣県だわね」と少し期待していたのだ。文化的に近しいならば食文化も若干の影響は受けているだろう。メニュー表のセンターにあるオーソドックスなうどんを注文する。運ばれて来たうどんは予想通りあるいはそれ以上の輝きを放っていた。一口食べてみると、そのもにゅもにゅとした食感に涙が出る。おいしすぎる。「うどん」というものの概念をハンマーで力強く叩き「これがここのうどんや」と言われたような気持ち。うどん革命。このまま東北に帰って「裏切り者!このうどん野郎め!」と言われてもいいとまで思った。実は前日の夜に岡山駅でこのお店のお土産用うどんセットを買っていたこともあり「これ帰っても食べられるんだ、すご…」とそのまま感動しながら一息で食べた。

私が乗って岡山から東京へ戻るのぞみが出るのは14時すぎ。なので、いろんなことを考えて、12時すぎに倉敷駅を出た。岡山駅に着いて、あと1時間ぐらいあるなあと思い、早い電車に変えようと思った。けれど、窓側の席が全部埋まっていたので、諦めて当初予約した新幹線に乗ることにして、またでっけーイオンに繰り出すことにした。このでっけーイオンはほんとうにもう一回行きたいぐらいの好きスポット。大きすぎるあまり見切れなかったのはもちろん、実は牛乳売り場のことしか頭になくて、お惣菜や野菜、魚のコーナーを全部見逃しているのだ。だから見に行きたいというのもある。とはいえ、でっけーイオンの牛乳売り場でオハヨー牛乳の小さいのを買い、駅へ戻る。これは帰りの東海道新幹線できびだんごと一緒に楽しむ用。1本目をあまりにも勢いで飲んでしまったので、リベンジのオハヨー牛乳だ。

定刻より少し前にホームへ行き、新幹線を待つ。まだ夏の気配が残っている太陽の光を受けきらきらと光るものたち、まだ湿度を残してもったりとしている風、「ようこそ岡山へ」と書かれた岡山城の看板を見て、涙が出そうになる。天気も人も街もあたたかい場所だった。こんな場所に来れて幸せだなと思った。鵜飼派の展示がなければ、ここには来なかったんだなと思うと、改めてありがたい気持ちが底のほうから込み上げてくる。これまでずっと国広のオタクとして生きて来たのだけれど、今年「鵜飼派」という謎の概念に出会って嬉しいかぎり。とはいえ、わたしの疑問は解決していない。

博多発、東京行きののぞみに乗り込み、ここから私の無茶が始まる。夕方東京に着いて、そのまま東北まで帰れなくはなかったのだが、どうしても、金曜夜の展示室に行きたかった。最初に計画をひらめいた時に「あまりにも無茶」「バグが起きてるスケジュール」とかいろいろ思ったけれど、ソロ旅なら少しの無理も許されてしまう(もちろん私の体力次第なところはある)。帰りの新幹線は特に何も考えず、くだりとは逆の海側を取った。往路とは違う景色を見たかったというのもある。内陸側(富士山側)は、メーカーの工場が多く、まったく飽きなかったけれど、どうだろう。飽きてもいいように、今回は新幹線用の裏ミッションを用意していたし、カバンにはルパンを入れていつでも読めるようにしていた。その準備とは裏腹に、帰りも帰りでめちゃくちゃ楽しかった。もうもはや東海道新幹線の車窓というひとつのエンターテイメントに触れているみたいだった。街があり、工場があり、暮らしがあり、労働がある。窓から見える屋根や窓、田んぼやビル、広告物や看板にはそこかしこに喜怒哀楽があり、それぞれ繰り返されている日常がある。それを実感できただけでたまらなく嬉しかったし、きっと私はこの景色を見るために働いているのだろうとまで思った。各停車駅や通過駅で盛り上がるのだけれど、熱海や小田原、伊東のあたりで街の奥に海が広がる光景を見て「うひょ〜〜〜」という気持ちになった。いかにも、いかにもな景色、大好きだ。まったく飽きなかった。窓の外を見ながら、オハヨー牛乳を飲んでいたのだけれど、これもやっぱり後味スッキリで美味しかった。お供はビスコ。きびだんごには手が伸びなかった(のでそのまま家の人にお土産だよって渡した)。

東京駅で新幹線を降りると、湿度のなさに驚く。つまりは寒い。北に戻って来たのだと実感させられる。けれど、そのまま在来線に乗り換えて上野へ向かう。ここからが今日のメインイベントその2である。無茶だって言われてるメインイベント。いま上野では東京国立博物館で運慶展、東京都美術館でゴッホ展が開催されている。音声ガイドはそれぞれ高橋一生と松下洸平。どちらを選んでもいいと思って、トーハクへ向かう。係の人と相談しつつ、こちらに決めて常設展示室へ。新幹線に乗っているときに「東博って企画展と常設展示一緒に見れるよな」「なら通史でコレクションが見れるので、必然的に刀剣のコレクションも見れるのでは?」と思っていたのだ。これが大正解。たしかに、雲類とは違うのがすぐにわかる。どのあたりが?と言われればニュアンスで「このあたり…」くらいの感じだけど、確実に何かが違っていることがわかったのが嬉しい。目の前にある長船派や福岡一文字派の刀を見ながら、記憶の中の鵜飼派と比べる。言葉にはしがたい何かが確実にそこにある(あるいはない)ことに気づき、展示室の椅子にぺたんと座ると不思議に涙が出て来た。これで正解だったのだ。「わからない、けどわかりたい」の気持ちが「なんかわかんないけど、わかるようになったかも」くらいまでになっていることに気がついて興奮のあまり涙が止まらない。すぐ横に図録があることに気がついて、パラパラとめくってみると、武器としてではなく鑑賞物としての歴史があること、そして鑑賞に対する難易度が高いこと、「理解しがたい、しかし、確実に存在する美」(※)があることを知って、岡山から東京に戻って、すぐにここに来てよかったと思った。これまでの人々が言葉の限りを尽くして美しさを語ってきた分野に踏み入れ、わからないのぬかるみの中を歩いていたのだ。そのことに気がついただけで、今回の旅は意味のあるものだったと思った。(※東京国立博物館発行『刀剣鑑賞の歴史』より引用)

少し落ち着いて、常設展示を楽しむ。時刻は19時を少しすぎたところだった。夜間開館は20時まで、とはいいつつも入場は19時30分まで。階段を下って、企画展示室まで向かう。そうして、音声ガイドにも頼りながら仏像を見る。かつての興福寺・北円堂を再現した空間に足を一歩踏み入れると、しんとした静けさと空間を満たす冷たい空気を感じた。これだ、ミケランジェロの展示を見た時の、ヨハネとアポロの彫刻が400年ぶりに再会した展示室で感じた空気感。部屋をぐるぐるを回りながら、四天王像のくねり、服のなめらかな光沢感、動きのある裾や袖をいろんな方向からじっくりと眺める。弥勒如来坐像を中心に、2体の菩薩立像が控え、その周りに四つの方角をにらむように四天王像が囲む。たまらなく好きだ。厚みのある身体つき、実際の人よりもいくらか大きく表現してあるのに実在していそうなところに目を離せなくなる。いろんな角度からぐるぐると見つめていると、単眼鏡を構える人が多いことに気がついて、私も首から下げた単眼鏡でじっくりと細かいところまで見つめる。彫刻であることを忘れさせるほどのリアリティを持ったなめらかな布の質感、細かい装飾の彫り込み、裾の感じ。戒壇堂のものよりも豪華で勢いがあるのがいい。好きだ〜、いやほんと好きすぎる。四天王像、好きだ…。あと高橋一生の音声ガイドがもうそれはもう最高だったので、聞いてほしい。よすぎる。以前のルーヴル美術館展も最高だったけど、なんかもう常に最高を更新していくじゃん。最高だよ。

⬛︎10月18日(土)予備日/選ばなかったほうへ

最近の旅行は、最終日を予備日としておくことが増えた気がする。やりたいことがあったらやってもいいし、別になければないでいい(というので一回横浜の親戚の家に泊まってたら帰路につくのが夕方になったことがある)みたいな感じ。なので、ここまでできなかったスープストックトーキョーに行き、東京駅から銀座駅までぼやぼや歩きながら手帳会議とネイルの調達をしつつ、前の日の二択で選ばなかったゴッホ展へ向かう。ゴッホ展ばかりは単独行動で見てよかったと思う反面、展示室に一人でいるのがデフォルトという謎の訓練のせいでこんなことになってしまっているんだという気づきがあり、ぐにゃぐにゃになってしまう。ゴッホが本格的に絵を描いていた10年、いろんな場所でいろんなものに触れ、さまざまな色彩や息遣いで表現に向き合っていたのがわかる展示だった、気がする。特に私はアンリ・ファンタン=ラトゥールの《花》、ゴッホの《アブサンが置かれたカフェテーブル》あたりが好きだった。あと、ここでもシニャックの絵があり、たまらなく「うひょ〜〜〜」となってしまった。ゴッホとも交流があったの、わかる…と思ったし、やっぱりシニャックは遠くから見た時に「もしかして」と思うところが好き。近づいてみると意外な色が潜んでいるところも好き。

都美は来年1月下旬からスウェーデン絵画の展示を控えているので、そちらも楽しみで仕方がない。すでに配布されているちらしのキービジュアルにもなっているアウグスト・ストリンドバリの《ワンダーランド》に一目惚れしているので、これも見に行きましょう。そう考えると、倉敷で少しの間立ち話をしたスウェーデンの女性との縁も感じられる。見に行くまでまだ時間があるから、少しだけ地理や歴史を学んでもいいかもしれない。

ゴッホ展を見て、夕暮れを背に帰りの東北新幹線に乗り込む。列車が上野駅の地下ホームから地上に出ると、すっかり夜の暗さで驚く。17時30分を少し過ぎた頃、あまりの暗さに「こんなに!?」と驚きながら、同じ時間帯に撮った岡山城の写真を見返すと、まだまだ夕方の名残を残した明るさがあり、日照時間の長さをうらやましく思った。パリからアルルまでが列車でだいたい5時間、私の住む福島から岡山までも東京で東海道新幹線に乗り換えをしたとしてもだいたいそのくらい。急に恋しくなってしまった。けれど、そのくらい濃密で楽しい時間だった。秋の夜を北へまっすぐに向かう東北新幹線に揺られていると、東海道新幹線に比べればあっという間に地元の駅に着く。新幹線を降りると、東京で感じたよりも鋭い空気に包まれる。これが東北の空気なのだ。

それから家の人と合流して家に着く。ぎゅうぎゅうだったキャリーバックの中身を開けて、お土産、洗濯するもの、自分の部屋に持っていくものに分けていると旅の余韻が部屋にも満ちていく。そして、寒いなあとあたたかい服を着て毛布までしっかりかけた布団にくるまっていると、日常に戻ってきたんだなと思わざるを得ない。これを書くときの自分自身は、すっかり日常の風景の一部に溶け込んでしまったけれど、旅の記録や思い出は私のなかに確かに残っている。

「わからない」から「わかりたい」と思って旅に出た。けれど、それはわからないことも含めて、現在地を確認するようにわかった旅となったような気がする。まだまだわからないからこそ、もっとわかりたいし、わかった先の景色が見えても見えなくても、この好奇心を大切に抱えていきたいと思った。

【おまけ!】すっかり長くなってしまったのだけれど以下おまけ

◎今回やってよかったな〜!と思ったこと

新幹線・電車を全部Suicaで支払えるようにしたこと。東海道新幹線は予約した際にカードで決済する形になっていたのだけれど、全部Suicaをタッチするだけで乗れるのがめちゃくちゃよかった。東海道新幹線は指定席で、タッチをすると座席が記されたカードがうにゃ〜と出てくる(何かあった時の証明書にもなる)ので、それを受け取って持っておくのだけれど、旅の記録として貼れる、手元に残せるのが良いな〜と思った。あとギリギリまで時間の変更が可能なの、ありがたすぎる。今回は早めようとしたけれど、間に合わなくて後の列車にしたい時にも便利。こうして、これまでの旅のスタイルをアップデートできたのがよかった。

あと、話しかけられたらとりあえずしゃべることにしたのがよかった。普段ならあんまり人と話さないのだけれど、今回はいろんな人とおしゃべりして楽しかったです。

◎ちょっと後悔していること

観光地で自分の写真撮ってもらったらよかった〜〜!ってめちゃくちゃ思ってる。見返してもアヒル隊長しか映ってない。いやそれでいいんですけど、300枚写真を撮ってたとしたら1枚ぐらいあってもいいでしょう………いやけど、本当にいるか?みたいな気持ちもあり、これはちょっと葛藤ポイントかもしれない。岡山の人たちみんなあったかかったから「撮ってください」って言ったら絶対撮ってくれた…!

◎次はどこに行こうか〜の会

余韻に浸りつつ、もう次の旅に思いを馳せているのだけれど、来年は四国(高知)、大阪・京都、鳥取砂丘、東北の日本海側あたりに行きたいな〜の気持ち。年末に松島リベンジして派手なお団子食べたいかもしれない。今回新幹線で行ってしまったけれど、次こそ飛行機で行くのもありだな〜!せっかくのエアラインだもんね。だし、高知、京都には夜行バスで行きたいし、鳥取はさすがに飛行機かも…でも東海道新幹線エンターテインメントを考えると新幹線もアリかも…!東北の日本海側は新幹線が地べたを走るというのがわたしの中で有名なのでそれに乗りたく…E8系………。考えるだけでもう楽しすぎる。次の旅に向けて思いを馳せながら、毎日を過ごしていきましょう。

@yon8_hakka
日記を書いています。 lit.link/yon8hakka