よく晴れて、気温も上がっていた日の夕暮れ。入場するにはまだ早いかもしれないと思って、北の丸公園の東屋でぼんやりとしていた時、吹いた一瞬の風が日中の熱に反してさらりと冷たく、心地よく吹き抜ける風だった。なんの確証もないけれど、なんとなくこのさりげない風こそBialystocksだと思った。
木々の向こう側には日本武道館の玉ねぎのような屋根が少しだけ見えていて、本当に彼らがここで単独公演を行うこと、そしてそこに自分の席があることがまだどこか夢のような気がしている。いつものように会場に入り、自分の座席に向かう。2階の中央、ちょうど菊池さんのピアノセットの目の前の位置だった。それぞれの楽器と甫木元さん分のマイク。ステージにはそれしかなかった。けれど、それだけで十分なくらい、ビアリのライブに来たんだと思った。
ビアリのライブは今回が2回目となる。前回はKIRINJIとのツーマン。去年の単独公演もツアーもことごとく機会がなく、単独での公演としては今回が初めてになる。2月にチケットが当選してからずっとそわそわしていた。去年、私が何度願っても手に入らなかったものが手元にある。冬から春にかけて自分の手元にあったチケットをすべて使い切ると、発券を待っているのはBialystocksだけになった。そうしている間にも彼らは2025年に準備してきたさまざまなものを世に放っていく。言伝、Everyday、一瞬。どれも好きだなと思った。なにより、私はBialystocksが好きだ。だから新曲も同様に好きなのだと思う。
定刻を過ぎ、会場を見回しているとミラーボールが4つあることに気がつく。思わず「4つありますね…!」とお隣の人に話かけてしまい、うっかり話し込む。ライブは基本的に一人で行って、開演まで待って、音楽の波に身を浸してそのまま帰ってくるスタイルなのでなんだかはしゃいでいると思った。
これまでの曲の断片、会場BGMとは明らかに違う音楽が流れ「ああ始まるんだ」と思った。アリーナの上手・下手のドアから登場した二人は、真ん中ですれ違ってステージ、それぞれの定位置へと向かう。Upon Youの軽やかなリズムに、思わずにこにこしてしまう。武道館公演を発表したツアーのラストがUpon Youだった気がするなあと、時間越えて懐かしくなる。ずいぶん遠いところまで来てしまった。時間の流れも相まって涙が止まらない。ライブの間、ふと気がつけば頬を涙らしい液体が伝う感触がして「そりゃあ、いつも泣きながら聞いてるもんなあ」と思った。最初から最後まで、一切MCを挟まずにストイックに曲を続ける。このストロングスタイルの人たちを好きな傾向にあるなあと思いながらも、曲と光を楽しみ、音の海に漂い続けられるのは幸せなことだと思った。今年発表の新曲はもちろん、単独公演だからこそ聞ける初期から今までの曲を贅沢に味わい、音の波間で心地よく浮いている時間だった。武道館だからこそできることはもちろんあるし、お祭りみたいな時間だったけれど、曲の作りやライブのアレンジはビアリらしくていいなと思った。
個人的には、菊池さんの手の動きがあまりにも滑らかで、的確で、心地よくて、音楽の底のほうを流れるピアノのラインがよりいっそう好きになった。菊池さんにはもう頭が上がらなくて、ですね。
「今日がはじまりでも終わりでもないですが」という短いMC、よかった。非日常みたいな日常である気がして、今日が終わっても明日が来るし、きのうには戻れない。そんなことを思った。
ところで、あいもかわらずの菊池先生のウクレレ、あれは一体何だったのでしょう。あと甫木元さんのトライアングルにこにこ爆たたき。あれほんとうになんだったんでしょう。あと、最後Everydayで散った金色の紙片めちゃくちゃ多くて笑った。舞い上がる瞬間をふと冷静になって見ていたのだけれど、舞台上もアリーナも金色の水面になっていた。もしかするとユンスルかもしれない。
■憧れの人生と原点
4~5曲目の「憧れの人生」、聞きながら改めて自分がどん底にいた夜に聞いたことを思い出した。「その年でパートナーも持たずにふらふらしているのはあなただけ」という話題で親戚中ひとしきり盛り上がったと人づてに聞いた夜のことだ。パートナーを持つことだけが正解のように聞こえて、それは絶対に視野が狭いし、そうすることで幸せになる確証はない。私以外の全員にパートナーがいて、私だけが一人きりだった、ただそれだけの理由で勝手に盛り上がっているらしい。泣くに泣けずに、ぐつぐつと煮えている感情の鍋をただ呆然と見つめることしかできなかった私に「憧れの人生」は、視野を宇宙規模に広げて一面が青で埋め尽くされた海を見せてくれた。みんなと同じであることが憧れであり、できない自分は劣っていると思っていた時期。そのときに暗くした部屋で、偶然「憧れた人生は 暑すぎる星に溶ける」という歌詞を聞いた。なんとなく自分が書く側の人間としての自分を認識した夜だったような気がする。それから数日経って、初めてエッセイのようなものを書き、ペーパーを作った。あとは知っている通り、本を作っては誰かをそそのかし、そそのかしては自分も手を動かしている。最近はずっと自分の文体や立ち位置、どう表現していくかばかりを考えていたけれど、ある程度の答えが出たように思える。全部自分のために、過去の膝を抱えて泣いている自分と未来のきっと面白がってくれるだろう自分のために書いてるし、読んでいる。そうすることで今の自分は自分を保っていて、いろんな冒険をしながら世界と手をつないでいるのだと思う。だからできあがったものに対しての分類や呼び方は結局どうでもよくて、自分が楽しめるかがすべてなんだと思った。私による私のためのものなのでね。私がいちばんよいと思える形を探していけばいいだけの話。
あまりにも重たすぎるから初対面に近い状態で「憧れの人生が好きです」とは言えないけれど、やっぱり大好きな一曲。その節は命を救ってくださりありがとうございました。Branchesも同様で、宇宙を漂っているみたいで好き。宇宙から見たら私たちなんて、まして私の悩みなんて本当に取るに足らない小さな問題なんですわ。(けど、私は私の世界がすべてだから、そう考えると大きくなっちゃうんですよね、わかる。)
アウトロでおもむろに水を飲んだあと、飲みながら少し移動してトライアングルを叩いていた甫木元さんの姿を見て、しかもにっこにこの笑顔を見てこの曲がまたさらに好きになった。爆たたきトライアングル、ほんとうに現実だったのだろうか(他の人も見てるので現実です)。トライアングル、どうしてトライアングルだったんだろう。チョイスが謎すぎる。ちょっとの待ち時間もわりとにこにこで面白い。今日のアレンジめちゃくちゃよかった。「憧れの人生」ってわりとどんな形にもなれる。希望の音楽。憧れは人の数だけあっていいし、あったほうが面白いはず。
■日々と日々のあわいに
Bialystocksの音楽が流れるように設定している。もちろんそれは今日も同様で、さっき少しの空白があったので端末を確認していたら、流れているみたいだった。今日は部屋には誰もいないので私が止めたけど、改めてビアリからは日常の音がしてたまらなく嬉しくなった。日々の光、風、音、そんなものがぎゅっと詰められている。こうして私が武道館からふよふよと歩いてたどり着いた旅先の宿でライブのレポを書いていても、決められた時間になったら音楽が流れる。喜怒哀楽の毎日のなかで、セーブポイントとしての音楽があるとするならば、それはビアリなんだと思う。
「夜よ」も(これは制作時のこともありそう)、よかった。あらがえない時の流れ、なにかの時間が止まっても、自分の時間は流れ続ける。そんなことを思った。いや、にしてもよかったな。「日々の手触り」で甫木元さんが下手に移動して、ステージのきわきわのとこに腰掛けたと思ったらスピーカーの影からランタンみたいなライトが出てきて灯りをともして歌うし、なんなら持って移動するし、単独公演みをひしひしと感じてしまった。思う存分味わえるのは単独公演ならではでよい。前回はツーマンだったので、ツーマンも最高だったけど、集まったほぼすべての人たちが彼らの音楽を好きでいて、開演から終演までの時間のすべてを彼らの音の波間に漂っていられる単独公演からしか得られない栄養がある。
本格的に聞くようになってから「ゆかいな二人組」と認識しているのだけれど、単独公演もゆかいだった。菊池さんの職人芸好きすぎる。手さばきあれなに……もう頭が上がらない。
あと!あの、トランペットは去年の単独公演と同じく市原ひかりさんだった!うれしい。単独公演の映像を見てトランペットが世界に差し込む光の役割を担っていると思っていたので、今年もいてくれて本当に嬉しい。好きな音の波間で漂う心地よさを存分に感じているなかで感じる柔らかい光のような音色。たまらなく好き。去年の映像を見ていたときも好きだなと思っていたので、今日肌で感じられてよかった。ずっと心地よかった。去年、チケットが全然取れない中で「音だけ浴びさせてくれたらいいんですよ」と言い続けていたけれど、それは今も変わっていなくて、音の振動が届くところだったらどこでもいいし、どこにいたって楽しいライブをしてくれる確信を得た。
■はじまらないしおわらない
「今日が始まりでも終わりでもないですが、また遊んでくれたら嬉しいです」という甫木元さんのMC、なんだかよかった。また遊びましょうの気持ちになってしまったもんな……。言葉少なにアンコールまで駆け抜けて、目の前のBialystocksが見せる世界を泣きながら見つめていたあとの最初の言葉がそれなのよかった。彼らが作り上げた世界をほどく言葉だったような気がする。
これから、アルバムとツアーがある。2026年リリース3曲が入ったとんでもないアルバムが控えている。またどうしようもない、泣くしかできない夜に絆創膏みたいに聞いちゃうかもしれない。暑い日の爽やかに吹く涼しい風あるいは、消えたい夜に見つける足元の星。そんな存在でいてくれたら、どんなに嬉しいことなんだろうと思った。
そういう意味で、私は始まりでもあるし、終わりのライブでもあったと思う。終わりというのは自分が抱えていた悩みや不安に対してのひとつの答えが出たという意味での終わり。やっぱり、こう、絆創膏みたいな存在だと思った。
音楽の波間で漂って、いちばん心地がいいところ。もちろん、ほかにも好きな人がいっぱいいるし、大切な思い出もいっぱいあるけれど、私はBialystocksに出会えたこと、この波間でぷかぷかと漂えることも同じくらい大切にしたいと思っている。この先も、機会を見つけては音の海で漂えたら嬉しい。
そういえば、いま自分の部屋で流れるはずだったThis is Bialystocksから「一瞬」を聞いているのだけれど、やっぱりいい曲。「君」ってどんな捉え方もできる。けど、自分の中にいる自分なんじゃないかなとも思う。一瞬、ふとした一瞬しか会えない君。どうでしょう、お魚とにらめっこでもしよう。単独公演楽しかった。一瞬みたいな時の流れだったけど、本当によかった。涙を拭くために持って行ったタオルが大活躍。今治タオル(これはDEAR MYSTERIESのツアータオルと同じタグがついててちょっと嬉しかった)、柔らかくて肌触りが優しいのでどれだけ泣いても大丈夫。Bialystocksにぴったりのタオルだ。