味わう悦び

yonyon
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コロナ禍に入ってからか、歳をとったせいか、これまである程度色々行ってみたからか、たぶん全部がそうなんだけれど新しい/行ったことのない店に行きたい欲が薄れていた。店というのは飲食店の話。気心の知れた馴染みの店をより大事にしたいというのもあるし、単純に味にも人にも安心感があるから「あ、そうだ」と真っ先に足が向く。

だけどこの頃になって、まだ見ぬ店たちにも行きたいという想いが高まってきた。暖かくなると出かけたくなるものだし、世間と自分両方の、これまでの反動もあるかもしれない。

そうなると気になる店はたくさんある。これはずっと前からそうだが、私のGoogleマップはピンまみれな凄まじいことになっており自分でも狂気を感じるくらいなので、ひとに見せると大体驚かれる(引いてる?)。

相通じると思う自分の癖に、料理本を次々に買ってしまうというのもある。好きな料理家さんたちが何人もいて、みんな次々に本を出してくれるから買いたいリストは膨れあがる一方。おまけにSNSでも日々のごはんなど簡単なレシピが目に入り、食べたい!作りたい!に暇がない。

さらに、旬はいつだって駆け足でやって来る。たとえば正月が過ぎて菜花が出まわり始めると、シーズン中にできるだけ食べておきたい…!とそわそわし、そうこうしている内に、あれ?もうそら豆も出ているの?え、たけのこ?ほたるいか!待って待ってと大わらわ。

行きたい店、作りたい料理、旬のたべもの。有り余るくらいあって、しかも次々に現れて、追いかけて追われて、すべてを味わうにはどれだけ時間があっても事足りぬ。長生きしたいと思うことはないのだけれど、一日の時間はもっとずっと長かったらいいのにと思う。読みたい本や観たい映画だってそう。地平の果てまで見通せないほど溢れんばかり、私はそれらの間をふらりふらりと巡っていく。はーもう大変!と言いながら実のところ嬉しいのである。結局どれだけ生きても味わい尽くすことなく知らないことばかりで死ぬんだなあと思えばこそ、つまりはいつまでも楽しいんだなあという、うっすらと柔らかそうな希望がひらひらと鼻先に揺れている。私の中のおそらくいちばんまっとうで純粋で、まっすぐな欲望と、どうしようもない快楽の話。今日なに食べよう、明日なに食べよう。