平日、家ではコーヒーを飲まない。別に決めているわけではない。仕事に取りかかれば、焙煎のバッチごとクオリティチェックのために一日中飲むものだから、それ以上に欲さないというだけ。お客さんと話していると、みんな朝からコーヒーを淹れて朝食をとったり、水筒に入れて職場に持っていくのだと言う。すごいことだ、といつも感動してしまう。私にはそんな余裕もないよ、朝は牛乳を温めてちゃちゃっと飲む。夜は夜で、白湯かお茶、はたまた何かしらの酒を飲んでもうお疲れさん!と椅子やらベッドやらにずるりとからだを横たえている。
のだが、今日という日は仕事終わりにしてめずらしく、食後にコーヒーを飲んでいる。何があったということもなく、いつもは私が最後まで残って店をしめているけれど、今日は父が気まぐれに少し早くあがらせてくれたのだった。おかげで雨が降る前に家にたどり着いたし、夕飯も早めに食べられた。そして、この夜にぽっかりと生まれた時間。なんだかとてもコーヒーが飲みたくなった。お酒という気分でもないし、こんな時こそコーヒーをと思えば、自然頬もゆるみうきうきしてしまう自分がいる。それにいま棚の中には終売した大好きな豆の、最後の最後に取っておいたほんとうに最後の一杯分があるのだ。ホンジュラス ロス・ケツァーレス農園。すばらしい豆だった。例年すばらしい豆を作りつづけているファミリーにありがとうと想いを馳せる。透き通るようにきれいで瑞々しく、甘く、なめらか。爽やかに香るりんごや文旦、はちみつのような味わいのそれを飲んで、手に持つカップに揺れる液体を見つめ、ああ美味しいと思わず声にも出してしまうし、ほーっと息がもれた。しあわせ。おいしいものを口にして、ただそれだけを感じていられるというしあわせ。私はいとも簡単に幸せになれるのだと、飲みながら、この愛しい時間を書き残しておきたくなっていそいそと書いた。