隣の話

yonyon
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その時、店に入ってきたのはスーツ姿の男性二人組で、いかにも外回りの仕事の合間に小休止といった風情だった。先輩後輩か上司と部下なのか、ひとりは壮年、ひとりは中年で、きっと今にも仕事の話の続きが始まるのだろうと思った。中年の男性の方が席についてコートを脱ぐやいなや、口早に話し出したのは「もうどういうひとが好きなのか分からなくなりました」とのことだった。近くのテーブルにいた私は飲んでいたコーヒーをあわや吹き出すところで、やっとのことでそれを飲み込みちょっとだけ咳払いをした。まさかそんな話が始まるとは思いもよらず、ちらっとだけ二人の様子を伺った。こんなに見事に青春スーツを着てる大人を久しぶりに見た気がする。私たち世代にとっては伝説的なあの羽海野チカ先生の「ハチミツとクローバー」で描かれた青春スーツ。壮年の男性の方はといえばうんうんと穏やかな顔をして菩薩のように頷いている。このまま二人、漫画に出てきそうな一場面だ。話は深まり移ろっていて、さらに中年の男性が吐露する。「自分がこんなに傲慢な人間だとは思わなかった、そう気付かされました。今までの人生、まわりからはやさしいって言われてきたし思われてたはずなんですよ。」そんなようなニュアンスのことを困惑気味に続けていた。ぱっと見た感じでもインテリで高慢な印象を漂わせていたものだから、端でそれを聞いていた私はまったく傲慢にも、何があったか知らないがそう気づけたことはほんとうによかったと勝手に頷いてしまった。この人たちの会話が気になってもっと聞きたかったけど、急に店の中全体ざわめきが大きくなって、ほとんど聞き取れなくなってしまった。取り残された私はひとり、先ほどのテーマを引き寄せて自分はどんなひとを好きだったかと考えてみる。好きになったひとがタイプだと言ってしまえばそれまでだけど、これはうっかりすると迷子になりそう。自分がどんな人間かというのと鏡うつしな話だと腑に落ちる。けれどこういうのはやはり考えるほどにドツボにはまる気もしている。あの人はまだ考えているのだろうか。Don't think, Feel って不器用にウィンクしたい気持ちです。