これは大田ステファニー歓人さんの『みどりいせき』(集英社,2024)の感想です。
個人的にとても響いた作品だった。すてきなのは、バイブスあふれる独特な文体もそうだけれど、登場人物たちが社会の規範から大きく外れていること。春と、春の同級生のグミ氏とラメち、先輩のナルは麻薬の売人、プッシャーをやっていて、ももピもそれにまきこまれてゆく。ももピはバイトをクビになったばかりで、教室にも馴染めておらず、こういってよければ社会性がない。そんなももピのアイデンティティには野球が組み込まれていて、机の上には小学生のときの寄せ書きボールがおいてある。小学生のときにバッテリーを組んでいた春との再会、いっしょに楽しく野球をやった春とのつながりを手放したくなくて、プッシャーをする春の護衛をそうとは知らず引き受ける。
いっしょにやさいをキメてハイになったりジョイントをまわして目を真っ赤にしてけむりにみんなつつまれたりして、ももピはだんだん春たちプッシャーグループに馴染んでいく。ももピにとって、春たちのたむろするヤサは居場所となっていった。
日本の社会は薬物の売買を取り締まりの対象としているため、プッシャーをしている登場人物たちは「正しさ」から大きく外れた存在であると言える。しかし、春がももピに語ったように、かれらは「悪いことはしていない」のである。文化というのは時間によって移り変わるもので、法律によって薬物がだめだとされたのは永久的なものじゃないし、国によっては合法なところもある。なにが絶対に正しくてなにが罰せられるべきなんて、まぁクソだ。春たちはクソみたいな規範から外れたところで仲間をつくった。ももピにとっても、そこが違法だろうがなんだろうが、居場所になったのだ。それは誰にも否定できない。
規範というのはいつでも私達を縛ってきて、息をしづらくさせる。『みどりいせき』の愛すべき登場人物たちは、深く深く息をして、原始的なひとの喜びというものをわたしに見せてくれた。最後につけくわえると、警察はクソだ。