最近、よく子どもとよく図書館へと通っている。
少し前に気まぐれに連れて行ってみると、たくさんの絵本に目を輝かせ定期的に行きたがるようになりました。最近は読むことが少なくなったとはいえ、幼少期から本を読むのが好きだった私としては嬉しい限り。
と言いつつ、手に取るのは電車や乗り物がメインのものばかりで、絵本というよりは図鑑に近いので読み聞かせる身としては少し困るのですが。
その日も何冊か手に取りながら吟味している子どもを見守っていると、一冊の絵本が目に入った。
我が子にはまだ早い内容だろうと思いつつ、子が絵本を選び終わったタイミングで私はこの本を手に取った。
自分のために絵本を選んだのは久しぶりでした。
まだおんなのこの“わたし”と、その“ママ”と、さらにそのママ……つまり“わたし”のおばあちゃんである“さとちゃん”とのお話。
タイトルから薄々察していたが認知症のおばあちゃんの出てくる話でした。
私事ですが、今年が始まって割とすぐに祖母を亡くしました。もう10年近く前から認知症を患っていて、彼女はおそらく私が結婚して子どもがいる事もわかっていない状態でした。
数ヶ月前、秋に差し掛かった頃。祖母を追うように祖父も静かに息を引き取りました。数年前までは元気で私の結婚式にも参列してくれた祖父も、この1〜2年で認知症が進み私の顔を見て祖母の名前を言うようになっていました。
正直言うと、今年は色々と喪失体験が続いていてまだ心が追いついていないなと痛感しています。
そんな中で読んだこの本は、悲しいけれどそっと優しく寄り添ってくれたように思え、もっと早く出会いたかったなという気持ちになりました。
子を持つ母として、かつて娘だった身として、そして認知症の祖父母がいた孫として。いろんな視点から思うことがありました。
私の中で“記憶”を扱う物語って、結構大きくて。大きいという言い方は変ですが。好きというか、重要というか、惹かれやすいというか。
だから金カ夢でも転生もので記憶がどうのとか言うのを書いてしまいがちなのかもしれません。
これは過去に読んですごく好きだった記憶ものの短編小説の話なのですが。確か「やさしい嘘」を題材にしたアンソロジー短編集の一つだったかな。
どんな病や怪我もたちまち治す果実、だけどそれを口にすれば“最愛のものに関する記憶が消えてしまう”と言うもの。
そのお話の中では治療を治すための女性と、不治の病を治すためにそこを訪れた夫婦をメインに話が進んでいました。妻の病を治すため、そして妻の最愛が自分であるかどうかを確認する男の話でもありました。
この設定、最近巷を賑わせている(?)人魚の煮付けにも通じるものがあるというか、二次創作で盛り上がるネタだと思うんですよね。
私だったら、ツキシマさんがもしその果実を食べた時に誰の記憶をなくすのか気になるな。逆に金カムの男子達は愛するものが不治の病に陥った時この果実を食べさせるのかどうするのか、気になりますね。
また今日も取り止めのない話となってしまいました。読書の備忘録にしたかったのに、難しいものですね。