わたしの自己イメージは「つかみどころのない人」だ。
そもそも論としてわたし自身自分が何を考えてるのか分かっていないし、何が好きなのかもよく分からない。したがって、他者から見てわたしが何を好み何を思うかなど分かるはずがない。
あくまでそういう人間であるし、そういうふうに見られたい扱われたいと思ってここまで生きてきたので、わたしのことを気に入ってくれる人たちはそういう「つかみどころのなさ」を面白がってくれているんだと思っている。
今や、「年齢不詳」「性別もあやふや」「名前がころころ変わる」「生年月日以外の情報が生まれた時と全て違う」という理想的な状態になったので、自分の人生としてはかなり満足している。「わたしはつかみどころのない人です」と名乗ることに嘘偽りがない。
まあ、とはいえそれはそれで人を遠ざける要素にしかならないので、友達が少なかったりするのはずっと悩みの種ではある。人間関係を希薄にすることに注力してきたんだから当たり前なんだけど、というより自業自得なんだけど。
今日「もういつ死んでも悔いはないかなあ」などという感慨が過ってしまい、なんだかそれはそれで寂しいなと思ったので、これからの余生で少しは「つかみどころ」を作るのも悪くないかなあ、などと考え始めた次第。