娘と耳鼻科の待合室に居るときにふと降ってきたのでメモがてら書いておく。
■
自分は他人に関心がないんだな、と思うことが多々ある。
もちろん他人のことはどうでもいいとか、そういうことを思って過ごしているわけではない。
たとえば、毎日会うわけではないような人の名前と顔とが覚えられなかったりしたときに、「あまり関心を持っていないから覚えられないんだろうなー」と思う。
その一方で、自分がエンジニアをやっていると「大変な思いをしている、同業の人に、楽しく働いてほしい」とか、「コミュニティが盛り上がってほしい」とか、そんな思いになることもある。
他人に関心があるのか、ないのか、どっちなんだろうとわからずにいた。
そこにふと、今日、仮説が降ってきた。
自分は同業のエンジニア(自社に限らず)や、自分より若いエンジニアに対しては、「他人」と思っていないのかもしれない。むしろ「他人ではあるけれど自己との境界が曖昧な存在」として脳が捉えているのでは?と考えた。
この認識は、まわりを仲間だと思って優しくしているうちは何も問題ない。
しかし、他人=思い通りにならない存在、という前提を忘れて、他人なのに自分と同一の存在=コントロールできる、と無意識につないでしまうのが一番危なさそう。
たとえば「あのひとはエンジニアなのに勉強しない」と思ったり。
仮説を立てただけで何らか行動が変わったわけではないけれど、今日気付いたのはなにかのきっかけかもしれない。
もしなにかイラッとしたら、不適切な形で他者と自分との境界を曖昧にしていないか?を自問するのがよさそう。鷲田清一っぽい。