幼い頃、ベートーヴェンの三大ピアノソナタのレコードを買おうと思い、たまたま手にしたのがホロヴィッツのものだった。 雛鳥が初めて目にした動くものを親鳥であると認識し、あとをついて歩き回るように、私の標準三大ソナタはホロヴィッツの演奏になってしまった。
後年、クラスメイトにそのことを話したら、「バックハウスの演奏も聴け」と言われた。 鍵盤の獅子王バックハウスだ。 確かにバックハウスの演奏もいいと思う。
そして、もっと後になって、別の人からは「ホロヴィッツはショパンもすごくいいよ」と言われた。
私はショパンのバラード第一番がとても好きだ。 先日そのことを思い出し、動画投稿サイトでホロヴィッツの演奏するショパンのバラード第一番を聴いたらものすごくよかった。
折目正しく始まり、音色はあくまでもスモーキーで、最後の怒涛の盛り上がりが狂気じみていた。 感動した。
まだ、私はホロヴィッツのよさを明確に言語化できるほどたくさん聴いてはいない。 そう思って、他の好きなピアニストが演奏する、ショパンのバラード第一番を今聴いている。 ユジャ・ワンや辻井伸行といった現代の演奏家たちだ。
アルゲリッチやポリーニの演奏も聴きたい。 でも、薄々と感じるのは、たぶんホロヴィッツの演奏が私は一番好きだろうと言うことだ。
ここまで書いてきたけれど私はホロヴィッツについて何も知らない。 知識がない。 どんな人だったのだろう。
演奏の印象は録音状態にも大きく左右されるだろう。 今アルゲリッチの演奏を聴きながらそう感じている。 彼女の演奏には天才的なひらめきを感じる。 音に輝きがある。
好きな曲があり、好きな演奏家がいると、それを水準点として他に手を伸ばせる。