ラヴ・アンド・デス・オン・ロング・アイランド

yosyuku
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ジェイソン・プリーストリーが映画に出るというので、単館上映館に出かけていって観た映画だ。

その映画館は銀座にあったと思う。

私は特にジェイソン・プリーストリーの熱烈なファンというものではなかったが、その当時はビバリーヒルズ青春白書をテレビで楽しく観ていた。

ビバリーヒルズ青春白書は、シリーズが始まった当初はビバリーヒルズ高校白書というタイトルのテレビドラマだった。

裕福な家の子女たちの群像劇なのだが、そのグループの中でつきあう相手がけっこうころころ変わるのでおもしろかった。

ジェイソン・プリーストリーはそのドラマの中で中心人物を演じていたように思う。

あのドラマの中のあの役以外を演じるジェイソン・プリーストリーが観てみたいと思ったのと、あらすじがおもしろそうだから掲題の映画を観に出かけた。

その映画の中では、ビバリーヒルズ青春白書のパロディとおぼしき劇中劇がつくられていた。

劇中劇のタイトルの後ろで流れる音楽の旋律が、ビバリーヒルズ青春白書の音楽だと

DDEE AABB (handclap)(handclap)

なのだが、

その劇中劇では

BBAA EEDD

というように、ただ音の順番を入れ替えただけで、サウンドの感じもほぼいっしょだった。

手がこんでいるなと思った。

その劇中劇の中のワンシーンにおけるジェイソン・プリーストリーが演じる俳優の姿を、老作家が見て、ある名画と重ね合わせて、その美しさに魅了され……というお話だった。

何にでもどんな人にも美しさはある。

美は対象を見つめる眼の中にあるのだ。

たまたまそのことに気づいてしまうとたいへんだよな、とその映画を観て思った。

1997年の映画だ。

しかも老作家はイギリス人だった。

アメリカに渡ってもきちっとツイードの背広を着ていたので、道ですれ違った人かどこかの店の店員に、

「あんた、イギリス人だろ」

と言われるシーンがあったように思う。

スティングの昔のヒット曲、イングリッシュマン・イン・ニューヨークみたいだ。

そして映画のことをシネマと呼んでいた。

戯画化されたイギリス人だと私は感じた。

先日、ビバリーヒルズ青春白書に出演していた俳優がまた1人亡くなったので、私は掲題の映画のことを思い出していた。

私がビバリーヒルズ青春白書の中で好きだったキャラクタは、ヴァレリーという、むちっとした感じの人だった。

ヴァレリーは主役級のキャラクタと対立していた。

あんなに好きだったのにもう何年もヴァレリーのことを忘れていたような気がする。

インターネットを使い始めた1999年くらいに、結局ビバリーヒルズ青春白書はどういう結末を迎えたのだろうと思い、せっせとウェブ検索で調べていた記憶がある。

その何年か後に「デスパレートな妻たち」の放送が始まり、おもしろいかなと思って見始めたけれど、なんとなく現実に近すぎるというか、観ていてつらくなるところがあって、続かなかった。

それは子どもの学芸会的なイヴェントの衣装を夜なべしてミシンで縫わなければならない母親が、多動児が飲む薬をこっそり盗んでものすごく元気の前借りをしたのはいいけれど、そのあとその薬を飲むことが習慣化してしまい、薬を手に入れるのが難しくなったのちにぐったり寝込むとかそういう描写だった。

そのときの、NHKの吹き替えのワードが、多動とかADHDとかADDとかはっきりいわない表現だったのが気になっていた。

話をラヴ・アンド・デス・オン・ロング・アイランドに戻そう。

でもこれ以上書くと映画の核心部分に触れてしまう。

@yosyuku
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