私が受けたグルーミングとその後の私の人生

yosyuku
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私は15歳になってまもないころ、通っていた学習塾の学生アルバイト講師からグルーミングを受けた。

その講師は、授業が終わって二人きりになった教室の黒板にチョークで自分のアパートの電話番号を書いて、すぐに消した。

手紙とカセットテープを手渡された。

講師は22歳で、とある大学の法学部法律学科の学生だった。

司法試験に向けて勉強していると言っていた。

その学習塾では国語と英語を担当していた。

私との関係と並行して、アパートの近くに住む講師のいとことも男女の関係にあったようだった。

講師からは「結婚しよう」と言われた。

講師は家庭教師として私の家にまで来て、そこでは数学を教えていた。

当時は常々、

「どんなにひどい別れ方をしても必ず戻ってくるからそう思っていろ」

とくり返し言われていた。

その後いつになっても家族や学校の先生には、自分がどんな目に遭ったのか打ち明けられなかった。

講師からはシルヴァスタインの"Giving Tree"という英語の絵本を買い与えられていた。

何があっても何年経っても愛する少年を待ち続けたりんごの木を描いたものだった。

関係は私の高校受験が終わると同時に突然終わった。

私は、関係が終わる理由を知りたいと切望した。

しかし理由は告げられないままアパートだけが引き払われた。

すべての怒りと怨みの念は自分自身に向かった。

学校で授業を受けていても涙が流れた。

あまりにも学業がふるわないので教師にはいぶかられた。

最初に死を決意したとき、木々の緑も空も異様に美しく見えた。

しかしその日は決行できなかった。

講師が戻ってきたときに私がいないと困るだろうと考えていたからだ。

19歳の8月31日に自殺を図った。

退院後に精神科通いが始まった。

27歳になってコンピュータを買い、ウェブを検索して、講師の勤務先と個人ウェブサイトを見つけた。

勤務先の講師のメールアドレスにメールを送ったら本人から返信があった。

個人サイトに掲載された文章には講師の妻が登場していた。

父の死後2年経った32歳のとき、大幅に調子を崩して統合失調症と診断された。

30代後半で統合失調症の陰性症状が強かったころ、講師の郷里を訪れ、講師の母親に会って洗いざらい話そうとする夢を眠りの中で何度も見ていた。

そのころまで私は脳内にいる架空の講師に常に語りかけていた。

思考がそのまま語りかけになっていた。

それを意図してやめるようにした。

洗脳が解けたのは40代半ばになってからだった。

いくら待っても講師は2度と私の前に現れはしないことが直感としてやっとわかった。

そのころ、子宮体がんが発覚し、手術をして妊孕性を失った。

49歳で発達障害(ADHD、ASD)と診断され、診断した医師からは

「苦しさはトラウマではなく、脳の特性から来ている」

と指摘された。

現在は企業の障害者の法定雇用率を満たすために精神障害者として働いている。

人よりひどく疲れやすいが、精神症状はもうない。

考え方のくせのようなものはあると思う。

抗精神病薬は飲み続けている。

これは死ぬまで飲み続ける必要がある。

それに加えて発達障害の薬も飲み始めてしばらく経つ。

発達障害の薬はADHDの不注意や衝動を消してくれるものではなかったが、いらいらしなくなったしやる気も出た。

近年グルーミングという概念が日本でも話題になっているように感じる。

私はリナ・サワヤマのBBCのインタビュー動画を観て、私もいつか自分の経験を自分の言葉で語ったほうがいいだろうと思っていた。

@yosyuku
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