きょう、通話をしていて、休職している職場の話になり、休職の直接のきっかけが、会食だったことを思い出した。
だめだこりゃ。
ばかばかしい。
もう休もう。
という気になった直接のきっかけだ。
その前から著しいやる気の低下に悩んでいた。
そこへその会食があり、それが決定的なできごとになったのだった。
休み始めたらもう、職場のことはあっという間に忘れてしまっていた。
きょう、人に話すために、初めてその職場の困った点と、その会食のいやだった点を言語化して記憶から取り出した。
そうしたら、それらの点は思ったよりも深刻というか救いがなかった。
私が感じていた性差別とか以前に、構成員間の対人関係のもつれ、八方美人的に構成員ひとりひとりと話す人の存在、承認欲求がすごく強い人の存在、そうしたことが私の心とその職場に積み重なっていたことを感じた。
子どもの自慢とかも聞かされていた。
さすがにきょうの通話では、ある人から子どもの自慢を執拗に聞かされていたことまでは話さなかった。
一時の気まぐれやぶちギレで休んでいるわけではないのだな、と、自分に同情的な気分になった。
むりもないことだ。
この文章に書いたことはカウンセリングの先生にも話せていなかった。
多分そうだと思う。
通話で飯テロ大会になり、私の持っていた豪勢そうな食事の画像が、その決定打となった会食のものしかなかったからだ。
その料理の写真を見たらいろいろなことがよみがえってきた。
身銭を切らずに食べた写真なぞアップロードしたから、いやなことを思い出してしまったのだ。
もうその写真は封印して人に見せないようにしたい。
高価なものではないが、ビリヤニとか、ミールスとか、二郎インスパイアとか、おいしいものの写真はほかにもある。
そもそも自分が食べたものを写真で自慢し合うのはあまりほめられた行為ではない。
そういう局面になったら私だけは参加せずにおこう。