休みがとれてから、美術館へ行きたい行きたいと思っていた。
こってりした油彩画を鑑賞したかった。
きょう、ついに思い立って森美術館を訪れたが、この展覧会はちっとも油彩画ではない。
どでかいインスタレーションや大きな壁に映し出されたパフォーマンス映像に接して、ぼうぜんとしながら帰ってきた。
すごかった。
日本のおとろえを感じなくもなかった。
常滑のある陶芸家が亡くなり、その膨大な作品群を、この展覧会が終わったらゲイツさんは全部シカゴに持って帰るという。
国内にはその作品群をアーカイブとして持っておける力のあるところがもうないのかなとちょっと思ったのだ。
ミュージアムショップでGQ誌の5月号、ゲイツさんが表紙になっていて、ゲイツさんのインタビューに紙幅も少し割いてあるもの、それを買って帰った。
特集は「今、知りたい アート&クラフトの世界」だった。
きょう私が見た展覧会の図録はまだできていなくて、予約をつのっていた。
受注発注みたいなものなのかもしれない。
予約で事前に刷る数がわかっていればいいだろう。
きょうのことを忘れないためにとりあえずそのGQを買った。
それを読んでみて、ゲイツさんのつくりかたは川久保玲さんみたいだなと思った。
指示を出す人がいて、作る人がいて、コンセプトがあって。
私は疎いので他に形容ができない。
ゲイツさんの作品群を見て、とにかく制作しなくては私も話にならないなとつくづく思った。
えのぐまみれにならないとはじまらない。
この展覧会では、アフリカ系アメリカ人の歴史、日本の歴史、常滑の陶の歴史、民藝運動の歴史、そしてゲイツさんの歴史が並行したどでかい年表がすごく印象に残った。
その年表が載っているなら図録を買いたい。
凄惨な人種差別の歴史をかいまみた。
信長が勝手にやきものは瀬戸だけにしろとか言って常滑が衰退しそうになったがすぐ本能寺の変があったので私はほっとした。
瀬戸って愛知県瀬戸市かなあ。
瀬戸市って藤井聡太さんのいるところだという気がする。
そして、「せともの」の瀬戸なのかなあ。
私はせとものというと瀬戸内海だと思っていた。
それは勘違いなのではという念がきょう、生じた。
ゲイツさんは歌がうまかった。
廃墟の中でひたすら自作の詩を歌うゲイツさんの映像がかっこよかった。
なかでも、教会の廃墟とおぼしき場所でひたすら、はずした扉みたいなでかい板を2人の人がばたーんと倒すパフォーマンスは、呼吸用保護具と手袋を装着したうえでやってほしいと思って、見ていて気が気ではなかった。
ほこりがもうもうと立っていて、昔だから建築にアスベストが用いられていたかもしれないし、アスベストがなくても粉じんだし、はずした扉を素手で扱うのは非常に危険だからだ。
でも、そんなことを思うのは私も相当職業病に冒されていると感じた。
森美術館には草間彌生さんのTシャツが売られていて、すごくすごくほしかった。
メッセージTシャツを着るのが昔、好きだったからだ。
でも7700円だったのですぐには買わずに帰ってきた。
これからいろんな美術館を訪れようと思っていて、訪れる都度散財していては身がもたないからだ。
ハモンドB-3の前にレズリー7基がかかげられて、ひたすら音もなくレズリーが回っていたのがすごかった。
撮影可だったのにカメラを忘れていったことが悔やまれる。
とりあえずスマートフォンで撮った。
あのTシャツがほしい。
もう年齢が年齢なのでTシャツを着るのも……と思うが、そんなことは関係ない。
着たいものを着たい。
常滑を訪れてみたいと感じた。
関東にも益子とかあるので、とにかく産地に行ってみたくなった。
ゲイツさんが育ったイリノイ州シカゴのサウスサイド地区といえば、ミシェル・オバマのBecomingの日本語訳を読んで知った、ミシェルさんが育った地域のような気がした。
ゲイツさんの、アートを生み出すことに対する敬虔さを強く感じた。
いい展覧会なのでいろいろな人に見てもらいたい。
なかでも膨大な図書群、エボニーマガジンとかジェット誌のアーカイブ、その物量に圧倒された。
中には日本語の本もちりばめてあった。