施設に入所している母に面会に行けていない。
しずかなインターネットを見返したら2月3日以来行っていない。
ずっと気になっている。
週末が来るたびに、行けるかな行けるかな、無理かな無理かなと思い続けている。
母は兄や義姉に頼みづらいことを私に言っていた。
あるいは私でもできそうなことを言っていた。
たとえば、小型の置き時計がほしいとか。
時計は動きつづけているだろうか。
2月3日に面会に行ったとき、帰りしなに母が私のことを職員や他の入所者に自慢しようとしておかしなことを言っていた。
それを聞いて私はどこかで歯車が狂ったのだと思う。
面会の最中は、母らしくまったくふつうに話していたのに、他の人がいるところでおかしなことを言っていた。
私は母の自慢に値するような娘ではない。
なにも自慢できる要素がなくて悪い。
そうしたことが頭の中でぐるぐるし続けている。
それからすぐ母は新型コロナウイルス感染症にかかった。
施設は面会を許可しなくなった。
兄から、面会が再開されたという知らせを受けたが、ずっと行けていないのだ。
うかうかしていると母がもっと歳をとって死んでしまう。
施設にいるのかどうかもわからないが、知らせがないので今もいるのだろう。
私は週末になるとぐったりしてしまうことのくり返しだった。
うきよのことが忙しすぎた。
消耗していた。
5月初めの連休のいつかには行けたらいい。
私は、久しぶりに行ったら母の言動がもっとおかしくなっているのではないかと思って、そのことがこわいのだ。
入所したてのころ、あまりに頻繁に面会に行ったので施設の人にどういう関係の方ですかとか遠方に住んでいますかとか聞かれた。
1回行けばまた行けるようになるだろう。
行けていないことがものすごく心の重しになっている。
道を歩いていても、この人は施設に入っている母親に会いに行かない人ですよという看板を背負っているようなのだ。