外からきょう、つくつくほうしの鳴く音がした。
夏も後半に入り、終りが近くなったなという気がする。
昔、私の母はつくつくほうしの鳴く音を聞くと、
子どものころつくつくほうしの鳴く音を聞くたびに、ああ、学校の宿題をやらなきゃ……と思っていやだった
という話をくり返ししていた。
母は同じ話を何度もくり返す人だ。
私は母が42歳のときに生まれた子なので、物心がついたとき母は既に40代半ばだった。
いっしょに外を歩いていると、翌日の小学校で、
よしゅく、きのう、おばあさんといっしょに歩いてたろ
と言われたものだった。
私が小学校のころ母は既に50代で、頭に白髪も多かったし、昭和末期の50代の人というのはいまの人のように若作りをしていない場合が多かった。
あまりにもつくつくほうしと宿題の話をしばしば聞かされたもので、いまでも条件反射のようにそのセミの音を聞くと夏が終わってしまったという切迫感に襲われるのだった。
母は、母の父、つまり私の母方の祖父だが、その人を幼いころに事故で亡くしている。
私はその人が軍人だったということしか知らない。
母から聞いた話だけだ。
こういうのってほんとうのことをたまに知りたくなるんだけれど、もう関係者がいないか、歳をとりすぎているのだ。
ほんとうに軍人だったのか、どんな事故だったのか。
その後、母方の祖母はどうやって生計を立てていたのか。
母は家の炊事を8歳のころからやらされていたと言っていた。
母には姉も妹もいる。
母ひとりがそれを担っていたのか、姉妹でいっしょにやっていたのかも謎だ。
土間にかまどがあるような旧式の住宅だ。
家の炊事を担当し、それにくわえて読書好き、そんな子ども時代の母が計画的に夏休みの宿題を片づけていたとはあまり思えない。
以前、母の若いころのカトリックへの憧れについて、母の姉、つまり母方の伯母にたずねてみたところ、吐き捨てるような口調で、
そんなこと忘れなさい
というようなことを言われたのでびっくりした。
それは私が30代のころだった。
母と教会の関係について、母が通っていたとおぼしき教会で信者の記録みたいなものにあたってもらったこともあったのだが、そういう人はいませんといわれた。
そのころの私は精神的にとても不安定で、母を知ることが自分を知ることだと思いこんで、教会をいきなり訪れたのだった。
私の両親は長男を3歳で亡くした。
つまりそれは私の一番上の兄だ。
長兄が亡くなったあたりの話は、母はよく私に聞かせていたものの、私が物心ついたころには両親はひどい不仲で、両親がどうして知り合ったのか、両親はどうやって生きてきたのか、という話を一切しなかった。
どうして私が両親のなれそめを知ったかだが、それは、父がアルツハイマー型認知症をわずらい、それがひどくなったころに、問わず語りのような感じで父から聞いた。
父からしか聞いていない。
私がどうして過去のことにこだわってしまうのか、は、自分が発達障害をもち、精神病も発症したのはどうしてか、もっというと、それは私の生き方がそうさせたというより生まれに問題があるのではと時々思うからだ。