横浜の関内というあたりにBarBarBarという店がある。
ジャズの生演奏を聴きながらすてきな食事やお酒を楽しめるところだ。
私は20代の短い時期、関内のスクールでジャズヴォーカルのレッスンを受けていた。
現像所で夜勤をしていたころだ。
即興で歌うのが得意だと自分で思っていたのでそれをもっと勉強したいと思っていた。
オール・オブ・ミーとか枯葉とかそういう曲を1曲3か月くらいかけて勉強していた。
レッスンをつけてくれていた先生がある日、
「きょう私これから仕事なの。聴きに来ない?」
と言った。
お店はBarBarBarだった。
飲みものだけでもいいですかと入口で聞いてから入った。
私がそれまで身を置いたことがないような、ほの暗くて、卓上でキャンドルの炎がゆらゆら揺れているような、すてきな空間だった。
お客さんたちは裕福そうに見えた。
仕事のお客さんと来ている大人の男の人たちが多かった。
ジャズヴォーカルを聴く客層ということをそれまで考えたことがなかった。
私はぼろぼろのデニムをはいていて少し場違いだった。
先生は先生だけあって歌がうまかった。
大槌でがつんと殴られるようなうまさだった。
ステージの間に私の席に来て、
「しょうがないからあなたのためにオール・オブ・ミーを歌うわ。」
と言った。
しかし私はその時先生が歌った、コール・ポーターのナイトアンドデイのほうをよく覚えている。
先生は世界一歌がうまいとその時思った。
聴いていてこの身を揺さぶられているかのようだった。
その時の感じを思い出したくて、いろんな人が録音したナイトアンドデイを聴いたけれど、同じようには感じられなかった。
その日BarBarBarで私が感じたことは、ふだんのレッスンでは決してわからないようなことばかりだった。
ぼうぜんとしたまま根岸線に乗って帰った。