育休のふりかえり

ysk_118
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公開:2025/3/31

一言でどんなものだったか

8年かけてようやく父親になれたのではないか、と思えた。

取ってよかった。まじで。

前提となる状況

  • 3人目で育休取得

  • 育休を取るのはこれが初めて

  • 上に2人の子どもがいる(7歳、4歳)

  • 2025年2月-3月の2ヶ月の育休取得

※注意

ただの個人的な日記なので読む人はそのつもりで。

育休を通して何をしようと思ったか

3人目が生まれるということで、たぶんこれが育休をとる最後のチャンスだと思った、ということは大きなトリガーとなっている。これまで上の2人の際は育休は取らなかった。1人目のときは普通に仕事が忙しい(と思い込んでいた)。2人目のときはフリーランスとなり、半分育休、半分仕事みたいな曖昧なやり方をしていた。

つまり、これまではなんだかんだ仕事をやりながらで、自分の時間の100%を子どもや家族に向けるということを実はこれまでしてこなかった

今の会社は2人目が生まれてからまもなく入社し、この4年で大きくなった。何より社内に子育てメンバーが多く、ボードメンバーはじめ社内に育休を取るカルチャーもある。

そういうわけで、3人目が生まれた今、家族にしっかりと向き合う時間を取ろうと思ったことがきっかけとなっている。

ちゃんと生活をすること

昔以下のnoteを読んで、育休を取るにあたってふと内容を思い返していた。

「ご飯を作る、服を洗う、住まいを綺麗に保つ。すべて君が君の責任においてやることだよ。一つ一つマインドフルであること。それが大事なことなんだ。」

どうしても仕事をしていると家のことはギリギリのところでどうにか間に合わせる形にならざるを得ない。

今日はもう疲れたしデリバリーでいいっか、とか。

それでも「じゃあ今日はハッピーセットにするか!」で子どもは喜ぶし、一緒に食べて遊んで楽しい時間も過ごせるのでそれでいいとも思うところはあるが、それだけになってしまうとやっぱりちゃんと生活をしているとは言えない気がしてしまう。

だから、ちゃんとご飯をつくってみんなで食べることや、後回しにしてきたチリツモの片付けをこの育休中にやり切ろうと思った。

結果的には2ヶ月間の朝昼晩の3食はほぼ自分が担当し、外食もほぼ使わなかった。

家の中のクローゼットやロフトの古いものを大幅に断捨離し、子ども3人がこれから育っていくための環境を整えた。

父親の料理の味

もしこれを読んでいる人がいたら、父親の料理の味を覚えているかを尋ねてみたい。

私の父親の料理の記憶といえば、3歳か4歳くらいの頃に作ってもらったインスタントラーメンの記憶だ。写真が残っていたので覚えていると錯覚しているだけかもしれないが、美味しいインスタントラーメンだった。

まあ、それはそれでいいのかもしれないし、もっとなんか作れよとかも思わないのだけど、もし仮に実はもっとやっていたのに子どもの記憶にはそれしか残っていない、というのは悲しい。

また、本当にそれくらいしかやっていなかったのだとしても、個人的にはもう少し手の込んだものを記憶に残したいと思う。

そういうわけで、子どものために父親が何かをしたという行動を記憶してもらうためには行動量が必要である、という考えに至った

2ヶ月間キッチンに父親しか立っていない光景を見せることはできたが、この答え合わせは子どもが成人して一緒に飲みに行った時にでも聞いてみたい。(育休の前からやっているし、育休が終わったからやらなくなるという話ではないので育休の記憶としては残りにくいかもしれないが)

新生児の変化

3人目なので、1人目のときのような未知との遭遇感はないのだが、育休を通してリアルタイムで接することでの日々の微妙な変化を感じられるのはとてもよかった。

生まれてすぐの皮膚がめくれて赤ちゃんの肌になっていく過程とか、目の焦点がどんどん遠くまで合っていくかんじとか、頭皮の匂いの変化とか、親や兄弟の顔を認識しはじめていくかんじとか、首がすわっていくところとか、笑顔が増えていく過程とか、他のことを何も考えずにそうした細かい変化を見ることができたことはとても素晴らしい時間だった。

仕事しながらだとどうしても仕事のことが脳裏にある状態で見てしまう。他に何もせずに子どものことだけを見てていい時間というのは育休を取らないと得られない貴重なものだと感じた。

上の子との遊び

新生児だけでなく上の子に向き合うこともこの育休の目的だった。これも同じで、仕事をしながらだとなかなか心の余裕が持てず、子どもの「これみて!」とか「お馬さんして!」みたいなリクエストにちょっとしか応えられなかったりする。

長男はもう小2なので父親と遊んでくれるのは実はもう残り少なくなっているのでは?といった危機感もあった。

上の2人は今はティアキンにハマっている。元々マイクラが好きでずっとやっていたが、ポケモンのスカーレットバイオレット→アルセウスという流れを経てアクションもいける?となり、ブレワイを妻の友人から借りたところから今やっとハマり始めたという経緯。

年中の長女にはさすがに難しいと思っていたら意外とやり始めたらできることがわかって、今では長男、娘&母、父という3アカウント並行で進めている。

息子がすこし先行していて私が追い越すとめちゃくちゃ悔しがるみたいなところを見れたり、私の知らない知識や攻略をドヤりながら教えてくれるようになった。

面白いのは現実の生活にまで、ゼルダの話題が染み出してくることだ。家で遊んでいた風船が萎んだらモリブリンの肝じゃね?とか、公園の切り株をみてコログ出てきそうだねとか、そんな話題をこれまであまりゲームをしてこなかった妻とまでするようになった。

寝かしつけ

今ちょうど子ども部屋を分けようかという計画を進めているが、今はまだ家族全員で寝ている。

長男が「今日はパパと寝る」と言ってくれたのも育休を取っていなかったら聞けなかったかもしれない。

育休前は子どもたちの中で父親は夜も仕事があって起きている人という認識がかなり染み付いていたようだったので、この2ヶ月で一緒に寝れることもあるんだなというイメージになったのかもしれない。

自分自身と向き合う

スタートアップにおける4年という期間はなかなかに長い。がむしゃらにやってきてこの先も引き続きがむしゃらにやる選択肢もあった気はする。

しかしながらやはりその中で少しずつ無理をしていたところはあったような気がしており、育休を通して家族に向き合えたことが自分自身の癒しになっていたところも大いにあったような気がした。向き合うべきものに100%向き合いきれないもどかしさを感じていたところは正直あった。(これまで仕事しながらうまいことやりくりしている中でもっとドラスティックにやれないのか?という葛藤)

実際これは身勝手な話で、自分で大変な環境を選んでおいて、自分でバランスを取って「よかった」と言っている話とも言えるのでいい話でもなんでもないのだが、もし似たような境遇にいる人がいたら育休に限らず思い切って休みをとることがひいては自分を救うことになるかもしれない。

個人的にはまたここからあと4年は頑張る英気を養えた気がする。

最後に

育休取らせてくれた会社のすべての人に感謝。

初めての育休に付き合ってくれた子どもたちに感謝。

初めての育休の生活を一緒に楽しんでくれた妻に感謝。