なぜ超能力で病気が治るのか?
そのカラクリを一言で言うと、
「抽象思考」を通して「情報空間」に働きかけることができるから。
これだけではさっぱりわからないと思うので噛み砕いて解説してみる。
例えば目の前にシロという名前の一匹の犬がいたとする。(クレヨンしんちゃんのシロ想定)
犬のシロについて抽象思考をするとこうなる。
【シロを抽象化】
シロ→雑種犬→犬→イヌ科イヌ族→哺乳類→脊椎動物→有機物→数式→エネルギー
こんな感じで抽象度が上がるほど具体性が消えていろんな意味付けがついてくる。
例えば脊椎動物という概念には犬はもちろん猫や魚、鳥が含まれる。
そして抽象度が上がれば上がるほど物理空間から離れて情報空間の奥深くに入っていく。
例えば目で見て触れることのできるシロや犬は物理空間に存在するけれど、哺乳類や脊椎動物が存在するとは言えない。
それはあくまで物理空間を説明するためのカテゴリー。
つまり、概念として情報の世界にいる。
そしてどうやら情報空間の深い所まで考えが及ぶと自他の区別が消えて、他人との境界線がぼやっと曖昧になるらしいのだ。
このことは、もし目の前にシロがいたとして、自分がどこまでリアルを感じるかを想像するとわかりやすい。
【思考の抽象度底の場合】
犬のシロだ!
(例)普通の人
【思考の抽象度中の場合】
脊椎動物で哺乳類のイヌ族イヌ科の犬のシロだ!
(例)メンタリストDaiGo
【思考の抽象度高の場合】
数式√2xs42m(≒√147v)と近似値をとる有機物であり脊椎動物でもあり(省略)…シロだ!
(例)アインシュタイン
※数式は適当です。
【思考の抽象度激高】
(もはや数式としても表現不可能な)エネルギー体としての万物と繋がるシンボリックなシロだ!
例)サイババ
…………???
つまり思考の抽象度が上がるとシロの存在がどんどん薄れて、哺乳類や脊椎動物など多くの集団のひとつだと感じるようになる。
これを極めた先に在るのがワンネス。
エネルギーとしてのシロはもはや個ではなく自分を含めた大いなる生命のひとつになるのだ。
おそらく抽象度がずば抜けて高い人は、他人の意識と自分の意識に境界を感じていない。
だから人の気持ちが流れてくるというエンパスが起こる。
超能力者は脳の情報処理を行う前頭前野がずば抜けて動いていると言われている。
でも、もしかしたら逆もあるかも。
事故で左脳を失った人は自分と他人の境界が曖昧になり幸せに包まれるらしい。
つまり本来人間に備わっている物理空間で自他を認知する力(自我)が弱いのだ。
(たぶん脳の発達に凸凹があると生まれつき抽象思考せざるを得なくなるんじゃないかなぁ…と考えている。)
じゃあ、どうして抽象思考で病気まで治るのか?
このことは「情報空間」と「物理空間」の関係を考えると見えてくる。
ちょっと長くなるので、また次回書こうと思う。
次回、最終章。
つづく
※このアイデアを与えてくれた天才、ドクター苫米地英人に感謝します。(脳科学者・認知科学者・武術家・気功師)