現代に瞑想は必要ない
これが現代に生きる哲学者が出した答えらしい。
なぜなら瞑想は本来、精神の奥深くに入り幻覚を見ることで、仮想現実を体感するためのものだから。
TV、パソコン、映画、ゲーム。
仮想現実なんて技術で簡単に体験できる現代には瞑想なんてする意味がない、というのだ。
以前、コンテナに閉じ込められたまま雪が積もり、三週間そのまま過ごす羽目になったYouTuberが話していたのだけど、
数週間暗闇で過ごすと、目に見えない物が見えたり、いるはずのない人の声が自然と聞こえてくるものらしい。
幻覚、幻聴。
精神が極限まで追い込まれると人は簡単に幻を見るというのだ。
瞑想を深めることはある意味そのときの精神状態と近い。
意識の奥深くに入ることでドーパミンが大量に出て、起きていながら夢の中にいるようなバーチャルを体感できるようになるらしいのだ。
(心が落ち着く、集中力が高まるとかライトは瞑想はちょっと違うけど…)
昔の人は瞑想によって仮想現実に入ることで精神世界に映画のような臨場感を感じた。
それによって逆にこの世は幻を過ぎず、実体などない(空の世界)と悟った。
そのうえで物理世界(カネ、モノ、ヒト)にとらわれず社会をよりよくしようと考えたのだ。
しかしながら、それは現代ではなんの意味もない。
0歳児からYouTubeをみている我が子は仮想現実にリアルを感じ現実での遊びと棲み分けをしている。
現代人の素晴らしい所は昔の人と違って、瞑想なんてしてもしなくても、皆自然と悟った状態になれることらしい。
仮想現実があって、でも現実もちゃんとあって。2つの世界を認識できる。
昔の人が苦行して成し遂げたことを科学技術の恩恵で享受できる。
なんと素晴らしい世界。
(映画マトリックスはこのことを暗示してるらしい)
でも、悟りを得たはずの私達の世界はあまりよくなってない。
戦争は相変わらずあるし、皆、自分の幸せよりも稼ぐことが人生の目的になっている。
戦争もおそらく利権、(お金の問題≒資本主義。ロ〇アや中〇の社会主義なんてただのみせかけ)が根本にある。
日本国民全員、いや全世界、お金教の信者。
瞑想しても覚めないなら、いったいこの洗脳はどうやって解くのだろう。
0歳児から仮想現実が当たり前の、悟りを得たはずの子どもたちが大人になったとき、社会はより良くなるのか…
生きている限りどうなるのか見届けたいな、とちょっと楽しみな自分もいたりする。
(サブスクやベーシックインカムとか既に悟りを得た人が考案した価値観が自分の世界のなかにどんどん入ってきているのはいい兆しなのかも…)