緊張していた。今日は帰りに買い物に行くからと伝えてはいたけれど、隣駅まで歩く時間くらいはある。
同僚の意図はわからないし、きっと向こうも探っているのだろうけど。
私達はそれなりの年齢の大人だ。
それに、同じ職場で毎日顔を合わせる同僚なのだ。
関係を変えるつもりがあるのかわからないけれど、変わる可能性があるのなら、先に話して予防線を張っておきたかった。
午後になって、複数人が会議で席を外し、私と先日の派遣さん、それから壁の向こうに同僚、だけになった。派遣さんが席を立ってくれないだろうか、とタイミングを図っていた。彼女が身体の向きを変える度にドッと心臓が跳ねた。
彼女が向かいの別室に行った。お手洗いじゃないし、すぐに戻るかもしれない。数秒様子を見たけど戻らなさそうだったので、思い切って同僚のところに行った。
「今日、残って仕事しますか。帰りに隣駅まで歩く時間はありますか」
と小声で聞いたら、彼はびっくりしていた。頷いてから、(そっちは!?)と口パクで隣に人はいないのか、とジェスチャーしてきたので、
「今誰もいません、(派遣)さんはすぐ戻るかもしれないけど」
と言ったら、
「びっくりした〜…」と声に出して脱力していた。
すぐに席に戻ったけれど、同僚も私の方に来て何事もなかったかのように仕事の話をした。
私達は、同僚だ。
定時間際に、動いてるプロジェクトで方針が決まり、メールをしなくてはならなくなり、とにかく急いだ。
同僚は定時で退勤して、先に外に出ている。焦りながら8分ほど押しでメールをどうにか出して、退勤した。
部屋を出てすぐスマホを見ると、ちょうど同僚が今いる場所をLINEしてくれた。いつも隣駅まで歩くルートの、会社のそばの川だ。
走っていくと、私の既読に気づいたのだろう、向こうから少し戻ってくる同僚が見えた。声が届くくらいまで近づくと、走らなくて良いよ、と言ってくれた。
「また走ってる」と笑われた。最初のフラペの時も、私は走って追いついていたから。
話したいことがあって、帰りの時間をもらったのに、退勤間際に焦り、走って、何をどういう順番で話すかなかなか出てこなかった。単純に、話しにくいことで緊張していたのもある。
もう道のりが半分くらいになってから、やっと話したいことを話し始めた。
先週、初めて一緒に駅まで歩いてメロンフラペの話をしてから、金曜に誘ってもらって、ディズニーへ行く一生のお願いをされて驚いたこと。たしかに一生のお願いで感心したこと。
日曜日にLINEで、休日に誘ってもよいかと聞かれて、おや?と思ったこと。
ディズニーの日程を決めたら、その後は特に何も無いと思っていたのに、一昨日は手を握ってもらって、どうすれば良いのか困惑していること。でも嫌じゃないこと。嫌だったら振り払ってる。
子供の頃から結婚願望があまりないこと。絶対したくないというのとは違うけど、一人で行きて死ぬと思っていたから、コロナ禍になってから今のマンションを買ったということ。
でも、楽しいことや美味しいもの、きれいなものを共有できて、一緒に人生を楽しめるパートナーはいると楽しいだろうとずっと思っていたこと。それは結婚とは限らず、なんなら同性でも良い、という考えであること。
これを話したのは、もし、結婚をしたいという考えの人ならば、相手の時間も無駄にしてしまうかもしれないから。だからこういう考え方をしているというのを知っておいてほしかったから。
長く恋人はいなかったし、今、戸惑っているということ。
同僚とこんな感じになるなんて思っても見なかった。
今からこんな事を言うのもどうかとは思うけど、私達の関係がどうにかなるとして、元に戻る事があった場合、仕事に影響があるのは困ると思っているということ。
そんなことをどうにか話した。
同僚はマンションを買ったことがあるけど、売ってしまったこと。
自分も三十くらいから一人。じゃなきゃ一人で遊べる趣味ばかりやってない。
仕事に関しても、そうだね、それは困る、と言っていたと思う。
同僚の結婚観については何も言わなかった。
言いにくいこと話させてごめんね、大事な話なのに歩きながらで良かったの、と言ってくれた。
腰を据えて正面に座った方が話しにくいから、私は歩きながらが良かった。
なんとか駅につくまでに話したいことは話せた。
石橋を叩いて渡る性格で、失敗して自分でやり直せることなら勢いで行っても良いけど、そうじゃないから事前に準備というか、話しておきたかったということ。
少し前から、私も帰りのタイミングを合わせたいと思っていたけど、何を話せばよいかわからなくて、一度タイミング合いそうだったのに先に出てしまったことも話した。
同僚も、仲良くなるまでは俺もそう、でも仲良くなれたし、飲みに誘いたいと思ってた、と言ってくれた。
ホームに降りて、立ったまま少しだけ電車を待った。
同僚は手を繋いできた。水曜日の時は彼の手に私の手が包まれているような感じだったけど、今日は指をずらして絡めてきた。いわゆる恋人繋ぎってやつで、ぎゅっと握ってくれた。
お互いに、好きだとは一言も言ってない。
付き合おうとも言ってない。
まだ、気になる、合うか手探り、という段階なのだと思うけれど、私だったらその段階で自ら手をつなぐようなことは出来ない。
彼が私に対してどうなりたいのかどう思っているのかがわからないから、私からも、あなたが好きだと言っているようなものになる言い回しはしないように気をつけてはいるけれど、宙ぶらりんな状況は、対応に困る。
この日私から話した内容を受けても、私が嫌がってはいないということは伝わった、とは思いたい。手を繋いでくれたから。大きくて少しひんやりして、ガサついた男の人の手だ。
月曜以降、どうなるかな。