ユーザーに価値を届けると儲かる構図を作る
人の役に立つものを作っても儲かるとは限らないことを、本当の意味で理解することができ始めたと思います。
人の役に立つものを作るために必要な活動、お金を生み出すために必要な活動、人の役に立つものを作ることでお金を発生させるために必要な活動、この3つはすべて独立して存在しうると思うようになりました。
「ユーザーに価値を届けると儲かる構図」に辿り着くには、大きく2つのルートがあると思います。(自分で考えたわけではなく、いろんな人の話や本を読んだ上での再解釈です)
儲かっていないと、サービスの継続が難しくなる、優先順位を上げて取り組む判断にならないという現象が起きる可能性があがります。
まずは「お金を生み出すために必要な活動」を行い、その後「人の役に立つものを作るために必要な活動」「人の役に立つものを作ることでお金を発生させるために必要な活動」を行なっていくことを、今後はやっていきたいなと思っています。
まだ科学の手が及んでいないことを受け入れる
ビジネスには科学で説明のできないことがあると思うようになりました。「まだ科学で説明されていない」と表現するのが、感覚をよりよくあらわせている気がします。
ユーザーの行動やその背景にあることは、ユーザーリサーチによって明らかにすることができる部分もあります。しかしそれが人間に一般的に適用できるようなものなのか、何らかの前提条件があることで成立するのかを証明することは困難です。
中立的な立場での観察・定式化は研究機関などでないと難しく、自社の事業について考える時には、偏りのあるデータで確からしい判断を行えるように努力することしかできません。
科学的に説明されていることを適用できるのかを考えるのと同時に、それだけでは説明できない事象には、可能な限り確からしい説明を見つける努力をしていきたいなと思っています。
Why・What・Howへの考え方
Whyには人間の意志を汲み入れる
これまでは必要なことに取り組むというのが、基本的な仕事のスタンスでした。ただ、それだけではどうしても辿り着けない場所があると思うようになりました。
まだ感覚的な部分が大きく言語化できていることは少ないですが、「必要」が持っているベクトルだけでは進めない方向があり、その方向に舵を切るためには「人間の意志」というベクトルを合成しないといけないんじゃないかなぁと思っています。
Whatでは現実と理想を同時に考える
Whatには、今の現実から到達することに加え、理想の実現の一歩目としての役割も載せることができると思うようになりました。
あらかじめ理想を組み入れたWhatにしておくことでWhyの実現に近づくペースを早められることができる。一方で現実から到達するための乖離がありすぎると実現できなくなってしまうので、その間にあるWhatを見つける営みが重要なのかなと思い始めています。
Howは確立されたパターンを適用し、それでも残ったところに力を注ぐ
確立されたパターンを適用できるかそうでないか、適用したほうが良いかそうでないか、を見極めることが重要だと思うようになりました。
罠としてはパターンを生み出すことそれ自体にも意義を感じることができるという点があります。
本来パターンを適用できるものを内製することにも、なぜそれがパターン化されているのか・何を考慮してパターン化されているのかなど、何らかの学習機会が存在しているため、取り組む楽しみが存在しています。
原理を理解するような活動も重要な一方で、パターンを適用できない・しないところに力を注ぐのが、人の役に立つものを生み出すという観点では重要なのかなと思います。