文字を覚えるための絵本を除いたら、大体最初に読んだ本とは少年少女世界文学全集である。
少なくとも小学校に上がる前には読み始めていて、なまじ字が読める為に小学校でいささか勉強を怠けた感がある。
少年少女の本なので問題は無いはずだ。父母もそのつもりで買い与えたので、これを全部読むまでは他の本に移らないように、というような事を言っていた。
兄姉はどうも全然読んでないらしいのだが、私は父母の言いつけに異存が無かったので好き好きに美味しい話から摘み読みして六年が経ったであろうか。なんだかんだ中学に入っても抜けなかった気がする。
世界文学全集である。
これが日本文学全集なら間違いなく私は挫折していた。
世界文学全集日本の項は余りに血みどろすぎて、救いが無さすぎた。辛うじて太閤記が成り上がり者の一代記として盛り上がっていたくらいだ。
表紙、裏表紙、口絵、イラストレーション、とにかく美しい精緻な絵画で埋め尽くされた豪奢な本であった。
芸が細かいというか、一つの物語に対して章ごとに、話が終わるごとに、洋燈だのアフリカの楽器だのの精密な版画らしき小さな絵が載っていて、それが何世紀のどの国の、何であるかちゃんと記しているのである。
私は表紙の名画も楽しんだが、実際の所この小さな口絵というか詳細について眺め、楽しんだ。
イラストレーションも良かったのだが、イラストレーションとはイラストレーターが空想して描いた絵である、ぐらいのことは理解していた。
その章ごとに描かれていた口絵?なんていうんだろう。それは美術館などに展示される類の、つまり現実の化石というか…個人ではなく世界のインデックスだったのだ。
そして、世界が何で出来ているかを教えようとしている人達がこの文学全集を作っているのだと、その意図に気がついた。
爾来、私は舞台の裏側でなにが起こっているのかを目敏く気にしているような気がする。
裏方というものを知ってしまったのだ。
或いは、世界の裏側。