最近はADHDとかHSPとか、いやなんか無数のアルファベットによる診断が氾濫していてなんだかよくわからない。部分的には該当する様な気もするし、冷静になると全然引っかかって無い気がする。アレルギーもそうなのだが、検索すると花粉症のような気もするし、落ち着いて考えたら全然そんなことはない気もする。
どちらもプロに判断させるしかないのだが、なんか怠いなというのと、なんとなく時間と金の無駄な気がして放置している。
心持ち、HSPのような気もする。真っ暗な部屋で横たわっていると回復するからだ。
しかしまあ、何についても思うのだが、私自己肯定感だけはかなりイイ線行ってるというか、ぶっちゃけ低く無いのよね。
なんか、誰それを羨ましいとか、こんな私でごめんなさいと思ったことがない。
そこら辺は幼少期に読んだ三原純と森脇真末味に感謝なのだろうか。
不思議と、わかりやすい不幸というのは人を打たれ強くするというか、いやそんな気がする。
森脇真末味の「緑茶夢」に所収されていただろうか、「笊の様な神経」という話があり、所謂…なんだろう、当時はPTSDという言葉が無かったので作中では自家中毒と称されているのだが、自家中毒の青年が野放図に生きていて、周りが傍迷惑な坊主だよ、と思っているのだが、本人は真夜中に1人で発作に耐えているが、朝になれば周囲から「全く、笊の様な神経だよ」と言われるという名作がある。
それを読んだのが小学生の頃で、「いややっぱりこういう人居るよな」と確信したので、なんら痛手を負う事も少なかった。
似た様な話は吉野朔実も描いているが、ご本人がまあなんか、そういう発作持ちなのである。
そんなわけで、不思議と、萩尾望都系の「なんか私だけ人と違う」的な?気後れ?がない。
ない。全然ない。
こればかりは森脇真末味のお陰だと思う。
まあね、わかりやすくない不幸とわかりやすい暴力の場合は、わかりやすい暴力の前に人はしたたかになる感はある。
まあそんな感じですね。