ぼくも詩的な作品をつくっているので観たいと言われたけれど、あなたが考えているような、人間の会話劇がすべてであると信じて疑わない演劇人たちに受け入れられるような詩ではない─詩そのものであるという評されていると同時に、舞台俳優を含め本物の詩を嗜まない人々が気もち悪いと作家本人に伝え忌避するようなものなので─と思いながら話半分にきいていた。聖書や神との対話、社会性を脱ぎ去って肉体の一部を欠き生物としての機能と言語が失われてもなお彼らが存在するときに何が人を人たらしめるのかなど、そういったものが土台にあるから本質はものすごく泥々としている。劇中には文字通り泥人形のような人物しかいない。昔から何度も似ていると言われていた維新派を知っているらしいとはいえ、それともまったく異なっている。ただ、その戯曲へ公に価値を与えてくれた世界的な演出家も何人かはおり、わたしもそれがどういうことなのかは十分に理解している。そのような世界もあることを認めてもらえるなら作品の話もしたいが、そうでなければ話題にもされたくない。劇文学における詩と作者を迫害する可能性がある者には、キャリアとノウハウの話しかしてやりたくない。