コーチング

yukinotake
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昨日最後のコーチングセッションが終わった。

コーチングをやっていると「なんのために?」と聞かれてる気がする。でも答えがうまく出てこないまま、一旦コーチングを終えることにした。

コーチングというとその言葉のイメージから、熱血コーチがビシバシ目標に向かってサポートしてくれるような気がするが、実際の私のコーチングでは最初数回でそのようなニュアンスは完全になくなり、常に日々の日常の共有と、そして何回も時期をおいて出てくる同じ悩みが、ぐるぐると弧を描いていくようなものだった。

わたしは昨日までセッションを受けていたコーチと、およそ1年半やりとりをしていた。なぜこのコーチが良かったかというと、経歴が私と似ていたことと、私の言うことに同情しすぎず、引っ張られず、どこか一定の距離を保ってくれていると感じたからだ。友達ではない、友達になりたいともそこまで思わない。ただ時々話す相手として、とても適切だった。距離があるからこそ話せる話題があった。実際、転勤した前後などは自分の身の回りの変化に追われて、頭の中がいつも忙しくて、同じ人に定期的に、私が私だけの時間を許されることが必要だった。でもそれはいつしか落ち着き、年明けから「もういらないかもしれない」と思った。一度離れてみよう。そうやって、いろんなことに手を出しては辞めてみることを繰り返して私は生きていることも、コーチングで知ったのだった。それは私が私だと思うひとつの個性であり、意外とそうやってたくさん始めてたくさん辞める自分が嫌いではないのだ、と受け入れる時間でもあった。

対費用効果はわからない。何かわかりやすく変わったり、成長したわけではない。ただこれまでの私に必要だった。それだけのことだ。