今日はカウンセリングいってきた。だいぶマシになってきて本当に不思議。自分が善くなる?かんじ。このまえの失敗の話(お迎えの時間に遅れてしまった件)、からの万年筆でのイメージ方法。これで自分の思うことがだいぶ変わってきてる。カウンセラーに、「なんかおだやかになってますね」って言われた。夫にも「感情のピークと下方への揺れが小さくなってきてる」と。客観的に言われるとうれしい。
今日のカウンセリングの内容は、過去の嫌な話をどうとらえるか。
前々回に、過去の話をズラズラと書き並べる課題を出され、泣きながら書いた。「泣いているのは過去の子供の時の自分やで」とカウンセラー。1ヶ月くらい前の自分は、書きながら、子供の自分がでてきて、「ヨシヨシして!!慰めて!!ゆるして!やめて!」って言うてるみたいやった。つらかったんやな。
私の娘たちが泣いている声を聞いて「やめてよ!ヨシヨシしてほしいのは私やのに!!」って怒ってた。言うた訳ではないけど。自分の子供が泣いているにも関わらず、大人の母親が慰めて欲しいなんて。呆れてしまうよな。まぁでも子供がギャンギャン泣く声を聞くとハァ……イラってなるし、しんどくなるのは確か。でも、子供に対して「わたしのほうがしんどい!」ってのは明らかにおかしい。おかしかったよ、わたし。
万年筆で塗り替えたり、ひかりセラピーで癒したり。そういう訓練をすると、また違う自分が徐々に出てきてくれた。他人ではないのやけど、一歩引いてみてくれる自分。不思議な感覚。もちろん、過去の嫌な話に入り込み過ぎると泣いちゃう。どう考えても理不尽な親とのエピソードが満載なので。
前回のカウンセリングの後の課題の最中はそんなに泣かなかった。イメージトレーニングが効いてきたのかもしれない。すごい。今回のカウンセリング中にも泣かなかった。課題用紙に泣きながら書いた、過去の嫌な話を読んでも「事実」としてしか受け取れなかった。親に言われたことやトンデモエピソードも「そっかー」と思うようになっててびっくりする。むしろ爆笑した。こんなオッサンや母親がおるんやなって。「事実」を事実として受け取るとはすごいことでは?事実に勝手に感情を乗せるのは自分やんね。
親たちはどれだけ自分自身に制約を掛けてきたのか。んで、それを子供にまで押し付けてる。制約を掛けることによって自分を縛り付けている。つらい。ルールを勝手に作り出している。法律にはそんなこと書いてないのに。自由に生きるとはどれだけ難しいことか。
子供たちに対しても変わってきてる。子供らの成長にもよるのやけど、だいぶ怒りかたが変わってきた。怒る→しかる、注意するって感じ。イライラもするけど直ぐに対処できるようになったっぽい。物理的に距離をとるとか。えらいぞ。「親(養育者)が愛に満ち足りていなければ子供に愛を渡せない。愛は溢れるもの」とカウンセラー言うててホォンと妙に納得した。くさいセリフやけども、親が満ち足りていなければたしかに余裕ない接し方をしてしまう。
わたしの親はそうやったんや。心が枯渇しているからわたしにチクチクチクチク、縛り付けたり怒鳴ったり殴ったりしてたんや。かわいそうな人。劣等コンプレックスってやつ。自分を上にしたいために弱い子供を下にする。そういう風に育てたんやね。
今後は親と、とくに父とはどうするか?少し考えてみた。あ、以前は考えるだけで禿げそうやったけど今は違う。親との今後については……
「声が掛かってから考える」
という結論に至った。心配ごとの90ウンパーセントは起こらないらしい。心配するだけムダということ。
またトラウマがぶり返したり、フラッシュバックがふとしたタイミングで起こったりするので次回のカウンセリングまで自分を強化する。強化した自分を土台にして「次は何をしたいか?」を考えてみてもいいかも。どうしたいかな。嫌な思い出を掘り起こしたけれども、良いこともあったはず。ということで今日のカウンセリングの後は昔の日記を掘り起こした。2015年から約三年分くらい。わたし、色んなとこ行ってたし色んな人と話してた。助けてもらってた。ありがとう。それらは今の自分に少しでも繋がってるはずやから次は自分の良い過去を掘り起こしてみようと思ってる。時間かかりそう。