社会人一年目の思い出(2012年)

ゆきのやど
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一週間お疲れ様です。そしてまた明日から月曜日。出勤やね。町でみかける黒いスーツに黒い四角のカバン、そのスタイルはいつまで引き継がれるのやろうか。紺色でもいいとおもうよ。

わたしはどうやったっけって思い出しながら書く。2012年、ゆとりと言われた世代のわたしたち。2011年3月11日に大きな震災がありその後に期待された新人。そんな余裕もなくそもそも応募がない会社も多数あった。上下関係が厳しかった時代。転職することがそんな主流ではなかった。Switchも発売されていない、3DSから新作のソフトが出ていた時代。YouTuberってことばも在宅の仕事もあんまりなかった時代。円高やったっけ。

入社してすぐ 山奥の会社の保養所に入って1週間ほど合宿した。マナー講師、来ましたよ。 礼の仕方、歩き方まで。食事マナーの授業もあった。ステーキの切り方・パンのちぎり方・スープのすくいかた… 面白かった。 合宿中、なぜかランニングの時間があった。私はガチで走っていた。だって合宿中の飯が美味しかったから。太った。合宿終了後配属された。2名チームに私が入った感じ。女3人になった。もともとの女2人はマジで 険悪やったらしい。40代Aと20代B。私は潤滑油()になったらしい。「あなたが来てくれて Aさんは よく笑うようになりましたよ」って別チームのパパ男性社員が言ってくれた。パパサンキュー。このかたは私が体調不良で入院したとき、お見舞いにきてくれた。人ってチームの空気を作るねんなぁ。チームは人が作る。空気は人が作る。ダイ〇ン。てか 私 クソ真面目やったわ。しっかり日誌も書いてたし、会社の寮にこもりっきり。社員寮は陸の孤島。「貯金箱に住んでいるようなものよ」と寮母さんが言った。確かにめちゃめちゃ貯まった。

当時の入社1年目のマイ・マインドは、自分を消して、とにかく、尽くしてた。これに尽きた。単純作業系の仕事はマジで早く正確にできてて自分でもキモかった。「ハイ!ハイ!」って返事してて洗脳されてた。多分、今の時代にやるとやばい。笑われる。自分ないんですか?それって楽しいですか? ?ハイ、気づくと楽しくなかった自分がいました。でも、言われた通りにやり切って、それが達成されたとき、「ありがとう」って言われると得られる快。これは…やる気の搾取!! 気をつけて、みんな、やる気は吸い取られても給料の1ミリにもなりません。が、「1年目のアイツ ええやつやな」と金にもならない噂がくっつく。いい方にも悪い方にも。素直さってある程度は必要。私は素直な方だった。 まあ 1回 受け入れてみるかと1ミリぐらい受け入れた後に無理だったら拒否する。受け入れてみて、うんうん と思うと深く受け入れることができる。そういう人だと思っています、私。

新しいことを覚えるとめっちゃ楽しいけど、2年目 3年目になると飽きてきた。チーム内の A と Bの仲がより一層悪くなった。 Aはのちに病む。 B は別のチームへ異動。 私も別のチームへ配属。異動はバンバンさせる会社だった。2017年12月末に辞めるまで大きく2回、細かく5回ぐらい異動した。 新しいことを覚えるたびに難しいね、疲れたねって。でもなぜか得られるものを見つけてなんとかやってきました。やりがいというか、いや、やりがいはあったか?主体性のない自分やったなと。迫ってくる納期。終わらない締め。勝手に仕様変更。突然の不具合。抱えてしまう在庫。つらかった。よくわかんないまま時間は過ぎた。

今ある価値観も働き方も、10年経てばまるっと変わる。同じところにずっと勤めている人はマジですごい!ある意味な!!!新しいところ、新しいこと全て受け入れて自分の生活の一部にすることは大変なことなのです。起きる時間、食べる時間、風呂の時間、寝る時間…全て変わる。働くとはすごいこと。世の中の役に立っている。少しずつ、あなたがいるだけで改善されていくし変化していくのです。ありがとうございます。1週間お疲れ様です。社会人1年目の皆様。また明日から頑張りましょう!

@yukinoyado
動物園に行きたい。家の中が既に動物園。手帳とか文房具にはまり始めてる。かんさいで子育てしてる