ビジネス短編小説「風が吹くと僕らは損する。」

yukio_app
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公開:2023/11/22

「今年は去年と比べて、あつい夏になりそうです!」

朝の情報番組で、キャスターが表裏のありそうな笑顔で伝えている。

去年や例年がどれくらい暑かったのか?

誰も覚えていないし、比較することもできない。去年の今日は最高気温が33度。今年は34度だと言われても、全然ピンとこない。

このキャスターも同じだろう。わかったフリをしながら形式的に伝えているだけなのだ。

僕はテレビを消した。

夏は暑い。寒くて凍えるのは夏ではない。当たり前だ。

ただし、夏はただ暑ければあつい夏になれるかといえば、そんな単純な話でもない。

蝉の大合唱、風呂場のような湿度、肌がジリジリ焼ける強い日差し、アスファルトの陽炎、溶けるアイス、熱気あふれる甲子園の決勝、彩豊かな打ち上げ花火、賑やかな夏祭りなど、夏の風物詩が存在するからこそ、夏はあつい夏になれる。

そして夏の風物詩は、夏の暑さがなければ、夏の風物詩にはなれない。

それぞれが複雑に絡み合って、絶妙なバランスを保っているのだ。

もし一部でも変化すれば、連鎖的に波及して、あつい夏は消えてしまう。その一部が無意味で関係なさそうに見えてもだ。

そう考えると、あつい夏は空に浮かぶ雲に似ている。

単純で実体があるように見えても、実際は複雑な因果が生み出した現象のようなものだ。実体やスペックは存在しない。だから去年の、今年の、という比較に意味はない。

あつい夏は複雑なのだ。

僕は玄関に鍵をかけて歩き出した。

まだ朝の8時だというのに、蝉は遠慮なく鳴いている。

駅に向かうまでに、僕の背中の一部と、僕の白い綿100%のシャツがベッタリと一体化した。僕のために、僕が快適に過ごすために用意されたモノが、あつい夏を介して合わさることで、僕の不快感を増幅する。

理不尽だ。

そう思いながらも、僕はあつい夏が嫌いではない。もしこれを部分的に拒否できたとしても、連鎖反応で、あつい夏が存在できなくなるからだ。この現象もあつい夏の一部なのだ。だから不快でも受け入れるしかない。

僕は予定通りの時刻に、こじんまりとした都会の駅に到着し、予定通りの電車に乗り込むと、予定通りの優しくないキーンとした冷気に包み込まれ、予定通りに僕の不快感が増した。

僕のためではなく、不特定多数の人のために用意されたモノであっても、結局は不快になってしまうこともあるのだ。

誰の為なのかは関係ない。

世の中には禁忌の組み合わせが確かに存在する。永遠に分かち合うことができないし、抵抗しても変わらない。意味がない。

ただし、たまたま僕にとって不適合だっただけで、不要な存在というわけでない。誰かには適合するし、誰かにとっては必要なものなのだ。だから、ありのまま受け止めるしかない。

僕は、吊り革を掴んでいた右手で、上下税込み39,800円で購入したチャコールグレーのスーツのスラックスのポケットから、人肌にあたためられたスマホを取り出し、日課のニュースアプリをひらいた。

・首都高速で自動車4台が絡む事故。1名が重症 ・宇宙からの未知の信号。地球外生命体の痕跡か? ・給与支払例外基準法が今日から施行。 ・ダム建設の談合容疑で建設会社社長を逮捕。 ・長期金利が2%に上昇。住宅ローンに影響か。

僕の日常とは異なる世界の、変わり映えのない日替わりのニュースの見出しを読んだ。

次に、これも日課の世界最大の動画共有配信アプリを開いた。

戦争、ウイルス、政治、お金、トラブルなど、人の不安と恐怖を煽るようなサムネイルばかりが並ぶ。

その中で「ユーザー視聴権保護法で今後どうなる?」という無難なタイトルで、無難そうな50代の男性が写った無難なサムネイルの動画を見つけてタップした。

朝に白湯を飲むように、朝には無難がちょうどいいのだ。

動画が再生される。

「将来の設計できていますか?」と幸せそうな家族団欒の光景が映し出される。僕は画面下の右端に表示される5から始まるカウントダウンに集中し、カウントが終わり「広告をスキップ」が表示されると、余計なお世話だと思いながら素早くタップした。

次に「皆さん、今の仕事に満足していますか?副業に興味ない人はスキップしてください。」と、AI画像生成で胡散臭いというキーワードで出力されたような少し不細工な男が、南国のリゾートホテルで熱弁している映像が流れてきた。

カウントダウンが終わると、僕は遠慮なく「広告をスキップ」をタップした。

無駄な5秒を2回も消費して、僕はやっと本編を視聴することができた。

無難なタイトルと無難なサムネイルだけあって、動画から得られたのは無難な内容だけだった。

要約すれば、「来月からユーザー視聴権保護法が執行される。ユーザーが広告を見ることを拒否した場合に、サービス事業者がサービスと引き換えに広告を見せることを強制すると違法となる。強制した場合は重い罰則が科される。そのためにサービス事業者の広告収益が減少し、業績も悪化するだろうと予想されている。視聴者にとっては広告を見なくて済むようになるから、社会全体には恩恵がある。」という内容だった。

ひねりもなければ、独自の意見もない、誰もが知る事実をただ5分をかけて説明しただけの動画だった。

5秒を2回無駄にした甲斐はなかった。

ただ、この動画は白湯なのだ。お湯に、美味しさを期待するのは酷だ。

来月から、この国の人々の5秒が無駄に消費されなくなる。

ただそれだけのシンプルな話なのだ。

そんなシンプルなことを、必死に5分に伸ばし、この退屈な時間をいくらかマシにしてくれたのだ。むしろ感謝すべきだ。

そもそも、眠くなったら寝る、お腹が減ったらご飯を食べる、そんなシンプルなことに、ひねりや、独自の意見など誰も求めてはいない。

動画が終わると、アプリはまた僕に5秒を要求してきた。

一昨年くらい前だろうか、世界最大の動画共有配信アプリが予告なしに広告ブロッカーを完全に禁止した。

突然のことに、広告視聴を強制されたユーザーたちの反発が強まった。

それに対して、無策で支持率を急降下中の政権が、人気取りのために、「ユーザー視聴権保護法」を異例の速さで国会に提出。

法案は国会で成立したが、この突風のような事態に、サービス事業者と関連企業は、業績悪化が懸念され、株式市場はすぐに大暴落した。

当たり前の話、政府を批判しても、感謝する国民は少数派だ。

支持率はさらに低迷し、半年前の解散総選挙で大敗している。

政権にとっては踏んだり蹴ったりだったが、誰のおかげなのかを忘れてしまった僕ら一般大衆には喜ばれた。僕ら一般大衆にとって株価は遠い国の話だ。経済が悪化したと言われても、ずっと悪化したままなので何も変化を感じない。僕ら一般大衆には関係ないことなのだ。

僕ら一般大衆はたくさんのことを望んでいない。無駄な5秒を消費せずに動画を見たい。それだけの些細な願望なのだ。

嫌なものを拒否することは、人間に与えられた立派な権利なのだから。来月から僕ら一般大衆の5秒が守られる。

そう考えていた時、僕の上半身が慣性の法則に従って前に進み、下半身がそれを引き留めた。今日も時間通りに、電車は職場の最寄駅に停車した。

蝉はどこでも遠慮なく鳴いている。僕は蒸気のような空気を纏いなおして、会社へと向かった。

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蝉たちが忽然と姿を消したある日。

朝の8時過ぎに、僕は、僕の背中と僕の白いシャツを分離させたまま、駅へとたどり着くことができた。

予定通りに到着した電車に乗り込むと、優しくないキーンとした冷気も姿を消していた。

あの不快感も姿を消していた。

僕は日課のニュースアプリをひらいた。

・一般道でトラックと自動車が衝突。1名死亡。 ・郵便局の立てこもり事件。24時間が経過しても進展なし。 ・ユーザー視聴権保護法の影響で企業業績悪化。 ・住宅ローンを支払えない人が続出!? ・詐欺容疑で逮捕。副業で稼げると勧誘。

僕の日常とは異なる世界の、日替わりニュースの見出しに大きな変化はなかった。

そして世界最大の動画共有配信アプリをひらき、お気に入りの心霊スポット探索動画のサムネイルをタップ。すぐに不気味な廃墟に乗り込んでいく若者2人の映像が再生された。

若者2人が怪しげな怪奇現象に遭遇した瞬間、僕の上半身が慣性の法則に従って前に進み、下半身がそれを引き留めた。

今日も予定通りに、電車は会社の最寄駅に到着した。

朝礼で社長から大事な話があることを思い出しながら、静かになった駅から、予定通りに会社へと向かった。

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「それで、今日の大事な話なんだが・・・・。」

社長はいつもとは異なる雰囲気で話しを始めた。

「今月から6ヶ月分の給料の支払いを免除させてもらいたい。」

事務所と聞いたら100人中93人が想像しそうな、簡素な事務所に集まった50人ばかりの全社員に向けて、社長は気まずそうに言った。

社員達から負の感情が溢れそうになるのを抑圧するために社長が話を進める。

「給与支払例外基準法は知っているな?会社の存続を脅かす特別な理由があれば、会社は社員に対して給料の支払い免除を強制できる法律だ。」

そんな法律が少し前に施行されたのは知っていたが、まさか現実の世界でその言葉を聞くとは思わなかった。周りも同じ気持ちだろう。

「そ、その特別な理由は何ですか?」と、営業のチームリーダーは怒りが溢れそうになりながらも、とりあえずの敬意で包み込んで、社長に質問をぶつけた。

「主要取引先から、業績悪化のためにこれから6ヶ月分間は売掛金の支払いを免除してほしいと交渉があった。もしこの交渉を断って取引先が倒産した場合には、当社も共倒れとなり損失は計りしれない。我々が歩み続けるには受け入れるしかない。しかしながら、当社も潤沢にキャッシュがあるわけでもなく、これ以上の借入も難しく非常に厳しい状態だ。最後の手段として、6ヶ月分の給料を免除してほしいというわけだ。」

そんなバカな話があるか?と思ったが、案の定まわりも騒ぎ始めた。

俺や他の社員にも家族がいる。ましてや俺のような住宅ローンがある人間にとって、給料がなくなのは死活問題だ。

「働いた人間に、金を払わないなんて、そんなおかしな話があるか!!!」 「タダ働きをしろというのか!」 「外食して、お金を払わないで店を出たら、食い逃げだ。それは犯罪だろ!」

事務所は怒号で埋めつくされた。

当たり前、当たり前の反応だ。

慈善事業ではないのだ。何も見返りなしにレストランは食事を出さないし、何も見返りなしにメーカーは商品を渡さない。

誰かに何をしてもらったのなら、サービスを受けたのなら、受けた側は対価を払わなければならない。

商品を出せ!サービスを提供しろ!でもお金を払わないは通用しない。

お金がなければ別のことで、対価を払うしかない。例えば皿洗いのように別の方法で対価を払うのだ。

しっかり働いてほしい、だけど給料は払わない。

こんなの愚の骨頂と言えるだろう。

しかし社長は半ば逆ギレしたような表情で、さらに話を付け加えた。

「適法の範囲なので理解してください!給与支払例外基準法では、拒否したり、労働をしないことなどで会社に反抗する場合には、従業員を解雇することも認められています。会社のためにしっかり働いてください。当たり前のことなので言わなくてもわかると思いますが」

理不尽だ。

しかし、この不景気で解雇という言葉が出た以上、誰も楯突くことができないままに朝礼は終わった。

働いても、6ヶ月分の給料は出ない。つまりタダ働きだ。それなのに給料も払わないくせに、しっかり働くことが当たり前?

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僕は納得できない悔しさを感じながらも、挫けずに今日より明日が良くなるように仕事をこなしていた。そんなある日、社長に呼び出された。

内容は、「会社に反抗した」という理由で解雇だそうだ。

2日前に、せめて1時間でも副業できる時間を労働時間に含めてくれないかと社長にお願いをしてみたが、受け入れてはもらえなかった。

決して、反抗ではない。しかし、反抗とされた。

資料の僕の社内評価には1がついていた。

給料も払わないのに、こちらが少しでも要求したら最低評価だ。

こんなにひどい話があるだろうか? ※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※

人間関係という拘束のために、行く必要のない最終出社日。

僕は定時になったので帰ることにした。

もちろん、みんな無給なので送別会はない。僕は同僚と駅まで向かう途中に、今回の顛末を聞いた。

当社に売掛金の免除を頼み込んできた取引先も、自らの主要取引先から業績悪化を理由に売掛金を免除してほしいと言われたそうだ。

そして、その主要取引先の業績悪化の原因は、大口顧客の大手メーカーの業績悪化が原因だそう。

その大手メーカーも、自社製品広告の視聴機会が減少したことで販売数が低迷したのに加えて、主要顧客の世界的企業の業績悪化よって、製品の納入が激減したのが原因らしい。

そして、その世界的企業の業績悪化の理由が、主要顧客である世界最大の動画共有配信アプリの運営会社の業績悪化に起因するらしい。

そして、その世界最大の動画共有配信アプリの運営会社の業績悪化の原因は・・・。

駅に到着すると、自宅が反対方向の同僚と別れて、少し肌寒さを感じながら、僕は予定通りの下り電車に乗り込んだ。

僕は上下税込み19,800円で購入したネイビーのスーツのスラックスのポケットから冷たいスマホを取り出して、スマホの設定を少し変更し、世界最大の動画共有配信アプリを開いた。

変わり映えしないサムネイルの中から、最近人気急上昇中で、どこかで見たことがあるようなダンディな50代男性のサムネイルで、「おすすめアプリ紹介!インスタントTODOがヤバい」というタイトルの動画をタップした。

あつい夏が姿を消した日。

動画が再生されると、アプリは僕に必要な5秒を要求した。