まなざしという芯柱

王城の夕紀
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ロダーリのお話はなにがほかと違うのか、と考えると、まなざしではないか。子どもが善であると信じるまなざし、人間の善を信じるまなざし。

彼の作品で善なるものは必ずハッピーエンドを迎えるとは限らない。それでも善に生きたものをロダーリはかぎりなく慈しんで書く。

個性とかスタイルとか、そのような言葉は、彼の作品を前にするとはりぼてに見える。まなざしこそが、創作と呼ばれる営みの最も太い芯柱なのではないか。

まなざしが、個性やスタイルと呼ばれるものと何がどう違うのか、まだわからないんだけど。