文を書くことはセラピーになる。なぜか。思うに、自分の感情思考を言葉にしようとするからだ。そこにセラピー効果があるんじゃないかと思う。自分の考えていることを言語化することは難しい。ひょっとすると、人間にとって最も難しいことのひとつではないかと思う。人間の悩みの大半は、それができないことに起因している。戦争経験や虐待経験が、容易に言語化できないように。言語化できないままの経験と感情がトラウマとなるように。そのような経験と感情を言語化し物語として語れるようになることが治癒にさえなるように。
文を書くことは、必然的に、自分の感情思考を言語化するプロセスを含む。だから、何でもないことでも書き始め、だらだらと書き続けられるようにすることはそれだけで重要な技術で、サバイバルスキルでさえあるのかもしれない。
何より、文を書くことは退屈しのぎにもなる。
自分の感情思考をある程度自在に言語化できるようになると、次の罠が待っている。言葉にし過ぎる、書き過ぎるという罠だ。言語化できることが気持ちよく、いろんな表現が思いつくから、つい全部書いておきたくなる。どこまで減らしても伝わるか、どこまで減らすと伝わらくなるか、を見極める推敲だ。スリムに最小限で決まる文章にできた快感もそこにはあるが、上の話とはまた別の話だ。