読みたいもの観たいものが渋滞している。基本嬉しいことのはずなんだけど、なんかてんやわんやな気分になるのが意味が分からんなと思う。ゆっくりひとつずつ楽しんでいけばいいじゃないの、というだけのはずなのに。おそらく、私の鑑賞したいスピードが知らず知らず速くなってしまっているのではないか。情報爆発というものの副作用はコレではないか。シャットアウトすればいいのに、入ってくるスピードが上がったから「処理のスピードも速くしなければ」と思ってしまうこと。でも、ちょいと立ち止まって考えれば、特にこの言説は論理的では全然ないのに気づく。情報が爆発していようが、がんがん入ってこようが、処理しなければいいだけだし、シャットダウンすればいいだけである。そうしないと置いていかれるのでは、取り残されるのでは、という恐怖が背景にある。でもたぶん、別に取り残されもしない。自分は自分のままでそこにいる。本当に必要であれば、入ってくるだろうし、取りに行けばいい。本当に必要なものは、そんなに多くない。そう、入ってくるものがたくさんあるから大事なものがたくさんあるんじゃないかと錯覚してしまう、それこそ情報爆発が神経症的気分に人を追いこむ由縁だろうけれど、そんなことはない、というのは断言できるのではないか、と思う。
人間の処理能力はさして変わっていない。だったら、人間に必要なものだけが爆発的に増えるなんてことはあり得ないように思われる。
ほっとけ。そのほうが、大事なものは見えやすかろう。