ヴィクトール・フランクルを紹介する番組から、ふたつ引用を残す。ひとつめは、彼自身の講演のことば。
ここで、私の戦争中の体験を聞いてください。チュルクハイム収容所の指揮官でナチスの親衛隊員だったホフマン氏のことです。私は知っています。ホフマン氏は、町の薬局で自腹を切ってユダヤ人の被収容者たちのための薬を買っていました。皆さんの言いたいことは分かりますよ。非難でしょう。「フランクルさん、それは例外だということを忘れてはなりません」と。そのとおり、これは例外です。しかしこうした例外こそが人間には必要なのです。理解し、許し、和解に至るためには。私たちが多くのことをないがしろにしてきたのは事実です。しかし相手を責める前に、まずは心から理解しようと思いやってください。今私たち一人一人の良心に呼びかけを受けています。
もうひとつは、ロゴセラピストの言葉。
彼が、だからどんなにつらい時でも何かの「意味のある目標」があればそれに向かって人間は何とか命、生きるということに対する意欲をまた燃やしていくことができるんだというふうに考えるわけですね。
幸せということについて、ウェルビーイングよりも、この「生きていることの意味」こそが大事なんだ、という話のほうが私は真実であるように思う。辛いときは自己距離化をし、精神次元にのぼる自己超越で、わたしが生きる意味を見出す。それこそが生きる力の源泉に他ならない。四十余年生きてきて確信めいてそう思う。