自分自身への落胆

王城の夕紀
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他人にされたことも堪えるけれど、それ以上に、自分自身がやったことのほうが堪えるときもある。自分はそんな人間だったのか、という衝撃のほうが激しく堪える。というよりも、やっぱり自分はそういう人間だったのか、と書くほうがより正しい。自分がどういう人間か、わかっていない部分もあるかもしれないが、これだけ生きてくればわかっていることも多い。だからこそ、と思って毎日過ごそうとしているのに、やっぱりか、となる。この自分自身への落胆。