メモには三種類ある。メモ・ネタ帳・教訓。

王城の夕紀
·

あちこちにメモが溢れていて、メモした大事なことだらけという圧迫感と大事なメモを忘れているのではないかという焦燥感が常にある。これは良い状態じゃない。そう思って今日もメモの本をめくってみて、そこで思いついた紙やデジタルに散らばったメモの整理方法を試そうとしている途中で、整理方法の問題ではないのだ、と気づく。「見返す」をいかに定期的に設定するかの問題ではないか。膨大なメモには軽重がある。重要なものとそうでないものがある。それに気づくのは、メモした瞬間でなく、時間が経って見返した瞬間なのだ。メモの重要性判定には、時間の試練が要る。ここが重要ではないかと。

私のするメモには、三種類あるらしい。①捨てていけるメモ(必要な時間が短い)ものと、②必要な時に取り出せるようにしておくべきメモ(小説のネタや知識など)、③折に触れて見返すべきメモ(血肉とすべきもの)。つまり、メモの内容というより、必要な時間軸が違うのだな。①~③を、いま仮に、メモ、ネタ帳、教訓と呼ぶ。

問題は、すべてのメモは最初はメモであり、それがどう必要になるか、つまり①~③のいずれなのかはその場で判断できないことが多々ある点だ。ならば、すべて最初は①であることから、②③に定期的にサルベージする「作業」が必要になる。それが「見返す時間」となる。

あとは、見返しやすいメモにしておく、具体的には、メモする場所を絞っておく、ということだろう。とにかく私はところかまわずメモし過ぎる。それはまた考えよう。