効率化好きの末裔

王城の夕紀
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凝り性ではないが、効率化好きではある。違いは、後者は「手を一番抜ける方法を見い出す」ことが目的なところだ。たとえば、こういうことだ。たいていの料理本で不満なのは、鍋のレシピであれば、まず①に書くべきは「水を鍋に●ml入れて火をかける」であるべきだ。なぜなら鍋の水を沸かすのは一番時間を省略できなくて一番時間がかかるのだから、まずそれを手順①としてさせてから、②に材料を切るなり調味料をつくるなりする工程を書くべきだ、とずーっと思っている。材料をすべて用意し終わってから、鍋の水が沸騰するのを待つ時間、あんな時間を減らすために効率化好きは今日も戦う。

どうしても時間がかかるもの、どうしても時間をかけるしかないこと、があるのを効率化好きは知っている。それらを貴ぶために、効率化がある。手を一番抜きたいのは、それによって「何もしない時間」が欲しいからだ。

Creative people need time to sit around and do noting. と誰かが言ったらしい。いかにもクリエーティブを自任する人間の傲慢さが表れていて、こういう言葉が本当に嫌いだ。「何もしない時間」はどんな人間にだって必要なのだ。