昔から知らない刺激を受けたい傾向が強くて、それは新しもの好きだったり、流行り物をあまり気にしなかったり、そういういう傾向でずっとずっと来ていた。知ってる面白さみたいなのもあるけれど、毎週ドリフターズをワクワクして見ていたのは知らない面白いことをしてくれることを期待していたからだと思う。
ユーチューバーが面白くないって話は、そもそも何を面白いと思うかの違いであって、お笑いだって知らない人たちですぐに笑えるのであれば、もっと劇場や寄席にお客さんは来ていると思う。知っている人たちの予想の範囲のお笑いを期待している人はきっと大勢いるし、テレビだってそういうものだと思う。全員集合からひょうきん族に視聴者が流れたのはそういう理由だし、ひょうきん族から加トちゃんケンちゃんに行ったのも同じ理由。新しい面白いものだったからだ。
今はいろんなことが出尽くしているし冒険もしにくいし、そもそも新しいものを求められているのかも分からないし、土曜日の夜8時にワクワクしていた人たちはまあまあ年老いてきてて、当時と変わらず新しいものを求めているかといえばきっとひょうきん族の再放送とかの方が安心できて嬉しかったりしてそうではある。
ユーチューバーが広まる前から、ずっと「テレビの人気者」という存在はあった。ドリフターズだってそうだったし、明石家さんまもそうだ。ただ人気者は必ずしも芸を持っている必要も、芸に期待されてもいないというところに違いがある。そういう存在はユーチューバーより前からあった。良く分からない存在のタレントという人。大橋巨泉とか前田武彦みたいな感じで実は20世紀からずっとある。
という風にユーチューバーを理解すれば、その対岸にある芸人という言葉の薄さにも気がつく。ユーチューバーの中にも芸人はいるだろうけれど、殆どの人たちは芸人じゃないよね。タレントかもだけど。一方でテレビに出ている芸人とされている人たちだってタレントなだけみたいな人もいないわけじゃない。
あとタモリみたいなどっちでもない謎の人という存在はもっと少なくて、増えて欲しいなと思う。星野源が音楽やめたらそうなりそうだけど、やめそうにない。