スポーツって途中から見ても楽しめるものだよね

yukioterasawa
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サッカーとか何か最近すごくストーリーを意識するような方法論とることが増えて、そういうものだっけ?みたいな違和感がすごいある。ナラティブとか言うんだっけ?語るためにもそういう要素が多いほうが良いしSNSやネットでも書きやすいよね。というかそのためにあるの?もっと刹那てきなバーっとなってワーってなってウワーみたいなのじゃダメなの?っていう。ラーメンで情報を食うみたいな方にすげえ傾いてませんか?

地域リーグ、最近では元Jリーガーとか元代表選手が入って、有名人が監督やコーチやって経営も意識高い感じですげえ目立って、目指せJリーグ!とか言って地味な無名チームに負けたりする。それってナラティブなの?とか思うけど、それもまた挫折としてストーリーになったり、それがあったから今があるって言える日がくるとか、こすられたパターンにのっかってる方が楽なだけじゃね?負けは負けじゃん、とか言われたくないよね。余計なお世話。

でもさーもっと、あ入った!あ外した!あドリブルで抜けた、あパスずれた、あ追いついた、あファールじゃん、みたいなだけで良くないですかってすごくすごく思う。というかそれ以上求めてないから少し引いてる。そんな欲しがんなよって思う。

パラリンピックの選手とか色々な苦労を乗り越えっていうけど、パラの選手じゃなくたって、まあまあ何やってる人も色々苦労してると思うんです。それより事故で思ったように動けなくなってもスポーツをやりたいってチャレンジする心意気とか、それで出来ちゃえる身体能力とかにウワーって思いたい。

佐村河内さんの事件の時に、電気グルーヴが、耳が不自由なのに曲作ってるっていうからCD買ったのに!って今になって批判してる人は思ってるの?ってもっときつい表現で言ってたけど、CDはCDじゃん。誰がどうやって作った音楽かは無関係にそこに音楽はある。スポーツもそういう部類に入るものだと思うんだけど、なんかこだわり抜いた食材を一昼夜コトコト煮込んで手術を怖がっている少年と約束したスープ、みたいな補助線が無いと楽しめないようにするのって、やっぱお金とか参加させる仕組みだとか、デコレーションケーキのケースが佐藤可士和デザイン、みたいな話に感じてしまう。