SNSで人々の色々を可視化できるようになった。その分だけ他人が困っていたり憤慨していることを目撃するようになった。でも結局他人事で、共感してプンプンするとしてもその話、自分が遭遇しても困るけど、まず困らないようにするから遭遇しないよね?とか、ひどい状況ではあるけれど、自分が何かできるかと言えば難しいよね?とか、そうなっているのはそもそも色々な問題が複雑に絡んでいて見た感じですげえ困った人はいるし実際困っているけれど、そうなってしまった理由はある、困っている人が悪いということでは無いけれど。みたいなことが殆どだ。基本は他人事。でもなんか目に入ってザワザワしちゃう。なんならそういう風にならない方が世の中の困った人のために行動する時間がとれるんじゃないですかね、みたいなことを思ってしまう。
独りで出来ることなんて多寡が知れているし、何かするってことは何回かクリックしたりで完結することなんて殆どない。募金だって横領されてないかすげえ心配するならネット以外にも情報をとる方法があるけど、そこまでじゃないなんて、すごく自分が好きな感じがする。自分が好きということは他人との境界が明確ということだ。
自分じゃない他人の方がとても多くて、でもなんかもうちっと良くなりたい楽になりたい幸せに楽しくいたい、できればそれは自分だけじゃなく、なんて気持ちは多くの人がふわふわあって、それを手っ取り早く規定して満足できる風なやり方、そういう商売をできる人はなんだかすごいなあって思う。それもまた他人事。