昭和な政治家が感情的に話すのはどういう背景があるか何を話しているかは別として印象が悪いみたいな傾向がある。一方で冷静に淡々と話す人は理性的で印象が良い。蓮舫さんは蓮舫さんの話し方をする。話し方の印象は本当はそれだけで何かが決まるわけじゃないのだけど、なんかそれがすごい評価に組み込まれる。声を荒げたり、逆に言い淀んだり、言葉を失ったりすると負けた感じに見える。勝ち負けじゃないとしても。
結局、話し合いなんて喧嘩と同じくらい経験が無いような気がする。そんなことないだろ、話し合いしてるだろ、と思ったりするけれど。話し合いの前にどういう内容かを共有して、事前に資料を作って準備した上で、漏れているところありませんか?これおかしくないですか?みたいな確認をして次に進む、みたいな色々な作業の一部に話し合いがあるような気がする。なので話し方の印象で何かあることも滅多にないし、そもそも感情的になることもない。理性的かは知らないけどわりとみんな淡々と話す。その日の調子とかで何か変だな?みたいなことは多少あるにせよ、それで全部駄目になるとか、タイガースが優勝逃したとか、親の容態が…とかでもなければ無いはずだし、そうじゃないと日々仕事にならない。
一番そんなことを広く見せているはずの国会は、結構なパフォーマンス合戦になっていて、今では支持者の皆さん、私、頑張ってますよ!というのをそれぞれの立場の人がやる場所みたいに見える。それはテレビ中継が入る時だけなので、そうじゃない所ではそんなにパフォーマンス点を意識しないでやってるんだろうけど。テレビで見たことあるのが話し合いだと思うようになると、そりゃあ大変だし仕事にならんよ。