世間というのは色々あるけれど、評判という名の世間があることにふと気づいた。世間の評判という言葉はあるけれど世間以外に評判はない。巷で評判というけれど、巷は世間だ。業界で評判というけれど業界も世間だ。
実はエヴァンゲリオンをちゃんと見たことがない。でも1995年からずっと評判が存在する。その評判は見てきた。場合によっては見させられるに近い状況にもあった。そんなあんた好きかって言うのも面倒になるような状態。なので、たぶんまあまあ知ってる。29年間そんなだと今更見てもきっと確認作業にしかならない。なのでこの先もずっと評判だけ触れ続ける感じだと思う。
評判がいい、悪いは世間の中に存在する大きなパラメーターで場合によっては脅し文句になったりもする。生意気だった中学生の頃に先輩から「お前、評判悪いよ」と言われたことをよく覚えてる。そんな14,5歳でそんなこと言うんだって思った。お前が嫌いだ、ムカつく、とかなら分かるけど、そんな中学生が世間を持ち出すなよ、さっそく村社会の一員か。
世間に組み込まれてない状態でもその世間を垣間見ることもできる。アカデミー賞なんてそうだ。映画好きにとっては大事な世間ではあるけれど、それは話題にする世間であってハリウッドやアメリカの映画芸術科学アカデミーの世間ではない。なんかいっぱい島があったりするような状況で、俺はその島に属してるんだって態度や気分が大事だというのは、すごく動物的で面白い。あの世間で評判だったらしいよ、という評判が広まる世間。
インフルエンサーとかそういうのに利用される存在だったりするんだろうなあ。世間と評判とインフルエンサーだけで構成される世界。