自分がどのくらいの頭の良さかは別として、普通に話が通じる人がいるということはすごく大事ですってことを実は明確に学校では教えてくれない。実はそれを実感できる場所なのに。あいつは馬鹿だ、あいつは勉強ができる、あいつは算数が得意、あいつは作文が上手、そういう評価ではなくて、あいつとはどうも話が合いそうにないというのが趣味ではなくて感覚のレベルである人がいるということを、きっと最初に経験するのが学校だ。今になって思うと、先生でさえそういう面があった気がする。あの先生はきっと組合の活動一生懸命だったんだろうな、なんて思う先生がいた。もちろん好きじゃなかったし、ハイハイ言っとけばいいんだろくらいにしか思ってなかったけど。ここで大事なのがハイハイ言っとけばって部分、分かりあえるなんて思ってなかったんだなあ当時からって思う。子供にそんなこと思わすなよって話もある一方で、そういうこともありますよって明示的に教えてくれても良いんじゃねえかなって思う。みんな仲良くはひとつの理想だけど、やっぱり分かりあえない人はいて、その上でクラスなんて単位でなんとなく上手く運びましょうねってのを同調圧力以外の方法で認識して解決できると、わりと良い大人になれるんじゃないだろうか。でもそいうのを教えるのもなんかちょっと味気ない面もあるかも知れないけど、それをSNSだとかで知るってのもどうかなって思うし、いつまでも分からないまま炎上しちゃうみたいなのも淋しい話ではある。ハイハイ言っとけば良いって、スルーじゃんね。スルーなんて小学校高学年には覚えておこうよっていう。