学校出て最初に入った会社が上場企業の玩具メーカーで今合併して月で写真撮ったやつ出してた。ああいう機械っぽいのは立石の会社の方が強かった。ゾイドとか。こっちはビニール加工がスタート。今は知らないけど。
その会社で電気関係の試作やってて、最初からなんか独立愚連隊みたいな仕事をずっとやってんだなって今は思う。そういうの嫌いじゃない。
バブルの痛手と経験からマーケティングがどうこうみたいな話ばっかりで面白いものより売れるものみたいな空気感と愚連隊が長く生き残れるわけもなく、3年ちょっとで会社を辞めた。転職したのは小さい無人駐車場作る会社だったけど、そこが元々宇宙開発系やってた人たちが作った会社みたいで入ってすぐそっちの人手として行かされる羽目になった。
この前まで手を叩いたら犬が鳴く回路とかハンダゴテ使って作ってた人がザイリンクスのFPGAやるというシュールな状態だった。なんかふわっとした流れでそこで働く感じになったけど、辞めるまで毎日入館許可書いてた。そのくらい雑な感じ。地上で受信した信号を複合する回路。3つボタンマウスのCADで、それもその会社の近くにある協力会社の人たちが知ってるから覚えてきてって言われてちょっと行って無理やり覚えた。アメリカ製でローカライズしてないから詳しいことは分からなかったけど。今思うとよくやれたなって思う。今そこはもう全然違う企業になってるっぽいけど。
最初に挨拶って言われて「今までおもちゃ作ってましたが、おもちゃ作ってんじゃねえぞと言われないよう頑張ります。」って言ったら滑ったんだけど、デジタルばっかりな若い人たちはアナログの経験が無いから短いクロックで波形の立ち上がりが間に合わないとかが分からない人とかいて、それはそれで驚きだった。自分も普通に二十代独身のZ世代だったけど、そのズレ利用しておもちゃみたいな面白いことするんじゃないですか!って経験をしちゃったからギャップすごいというか、ガッカリがあった。挨拶とか言わされてるわりに毎日入館許可書いてたとか、今でもどういうスタンスの人だったのか分からない。
色々嫌になって結局ソフトウェアに逃げちゃった。
なんてことを思いだした。全部20世紀の話。ウソの記憶かも知れない。